日記

とみいえひろこ/日記

ものには出来るのに、人には出来ない

ものには出来るのに、人には出来ない。そう、画面の向こうで彼は話していた。

彼はものを拾い、置かれるべき場所に置くことを仕事にしている。スーツケース、ガム、ゴム、紙きれ、酒、靴、砂。砂なんか拾いはじめたらキリがない。彼の仕事は終わることがない。彼の手によって、ものはさまざまな境界に置かれていく。

憶えること、聴くこと、死んでいること、滅びてゆくこと、諦めること、秘密をまもること。ものには出来る。人は、驚くほど何も出来ない。ひ弱すぎて心配になってくる。人はだから自分たちのひ弱さをお互いに心配し合っている。

冬。風まぜにギターの音が途切れ途切れに聞こえ、ラジオでは、ほとんど滅びかけている言語で書かれた短い物語、を、誰かが翻訳した文章の一節が朗読されていた。

人は用事のために時間をつくってときどき部屋の外へ出ていく。外出時は黙ることになっている。ヘッドホンでラジオを聴きながら外へ出た。

砂や埃にまみれた灰色の髪の毛が、力をうしなって土の上にこぼれていった。寒いのでひとみから涙がこぼれる。胸からは言葉が。人の体のなかには、吃られ損ねた音がひとつひとつ入っている。

音にも体がある。というより、体があって、音がある。体があって人がある、体があってものがある。人の体とものの体はどこかすこし違う。どこがどのように違うのかというのを、言葉で言えない。

こぼれたその体もまた、もうほとんどを滅んでいるのだろう。目に見えず、重力に従うばかり。搔き壊された傷や摩擦の熱がかろうじて感じられるときがある。滅んでゆく時間をその体のなかに流れさせている言葉。