日記

とみいえひろこ/日記

2021.02.03

野の果ての暗い水のなか

 津島祐子『黙市』

 

ああ、好きだった。わたしはただそれが好きだった、突っ立って見ていたかった、見なくともよかった。理由も意味もないし、それが好きという感覚とは思えなかったし、そうとも思わない。ただ、その感覚、その感覚のなさをひとに説明しなくてはいけないとき、ほかに当てはまるような納得してもらえるような便利な言葉がない。

放っておけないとも違うし自分のものにしたいとも違う、わかりたいとも違うし自分がわかるべきとも自分が好きと思わなくてもよかった。とても心に残っている、その風景。窓が全部しまっていて、その内側がそれぞれにあって、情感が窓ごとにちかちかしていて、自分には遠く、関係なく、ながれていく。

それを眺めることなく眺めていることで、自分がなにかを見ていることになるから、思っていることになるから、楽だった。それは自分に近づいてこない。なつかしい、ものの風景。助けてくれるわけでもないし、自分にとっての何かだというのでもない。わたしにとってなんでもない、関係のないゆいいつのもの。

 

メモリを増設して、やっと古いデータをクラウド上にバックアップできる状態になった。フォントは両方に入れるのが現実的だと気づく。ひとつ、少し先が見えて、朝起きる時間が戻って来て、相変わらず自分がたびたび止まる、そのために苦しい状況になることが多いけれど、場所を確保していけると安心できる。

キーボードも頭がよすぎて変換の感じもぜんぜん違う。自分がキーボードの記そうとする速さに追いつけない。←ライブ変換というものだった。

好きだったものはもうひとつある。それはそれでもうひとつ別の意味をもっていた。何度も思い出しなおす、義務や責任に近い感覚、自分にとって、近づきやりなおすべき、そういう、対象だった。欠いてはならなかった、忘れてはならなかった。