日記

とみいえひろこ/日記

透明な小道

透明な小道があった。透明な小道に、ふと入り込めるときがある。入り込めるといっても、そこに迷い込んでしまう、という方法しかない。そして迷い込むための法則や方法はなにもない。そのときそのとき、一回きりの方法で迷い込んでしまう、しかない。

迷い込んでしまったあとに、この逃げ場も行き場もない絶望に近いような道が透明な小道だったのかもと気づく。自分が想像していたのとは違うけれど、もうひとつ別の、たぶん、ここも透明の小道なのか。そして、やっぱりわたしの知っている透明な小道には入り込めないのだなと残念に思う。

透明な小道は同じ場所にない。透明な小道は一度きり現れる性質のもので、自分がどうにもならなくて迷い込んでしまったと認めると同時に透明な小道の存在を感じることがある。そしてその存在はすぐに消える。見聞きしてすこしは知っていると感じていた透明の小道には、想像するうちに自分のなかでとうに色がついてしまい、どう迷っても入れない。透明な小道などというものはない。「透明な小道」と言葉にするたびに、透明な小道はなくなる。

どの透明な小道であっても、透明な小道はいつも見えない方にあり、透明の小道らしき方から聞こえるそれは、というか透明の小道の声は、わたしにとってはすべてのことをただしくまっすぐに説明する声に聞こえていた。

何も見えない。ただしくまっすぐに、その声が吐く言葉以外に的確な言葉がない、それほどの言葉たちで織り上げられた説明を、それをわたしは透明だと思っていたのだけど、もしかしたら、どうもそれは違う。

透明な小道に迷い込んだときに聞こえるのは行き場のない風の音、それも、自分の胸のうちの方から聞こえる音だった。また、この透明のどこかに居る、居ない、居た、力を失ったものものの、何にも届かない、あきらめの濃い深いため息。その積み重なりひしめき合ったすべてから、迷い込みどこにも行けないわたし自身が見つめられている、そういう時間がある。

迷い込むまでは見る側だと思っていたのに、何の力もなくなり見つめられるばかりになってしまった。息をひそめて見つめるものたちの無言の目に曝され、自分の居場所がなくなったことに気づく。居場所のない自分が透き通ってゆく。透き通ってゆくそのことが、透明の、もうわたしのものではなくなった、しかしかろうじてわたしの声なんだと思う。

説明され解き明かされてゆくと思いながら聞いていた声に実体はなく、言葉も視覚も、どの力も失い裸になったわたしの、憎しみや怯えすらも失った何者かの、うつろなこだまのような透明。