日記

とみいえひろこ/日記

中村佑子「サスペンデッド」(シアターコモンズ '21)

わたしは、ここに描かれていないこと、ここではまるで何の問題もないこと、消されていることのほうを、自分が関わるべきものとして選び、関わって、抱えているんだと思う。抱える腕はすりきれかけていて、このやり方では関わりきれないところまでいくこともできる、と思う。そうして、いつでも、関わらないことを選ぶことができる。

関わる、関わらない、どちらにもふれることができる場所は居心地がいい。ふれる、ふれない、この境目にいる独特の感覚が、自分にとっては、自分がここにいる実感につながっている気がしている。甘やかで、抜け出せない。

同時に、ここに描かれていること、ここで語られていた彼女の思い方、その一点だけで、わたしもまたここにどうしてもつながっていると思う。「わたしが存在することでひとつの存在が生きるのなら、わたしがここにいる意味はある」ということ。

この思い方を疑い、やめようかなと思ってみる。この思い方が間違っているのではないかという感覚が、自分が楽になりたいところから出てきているのか、どこから来ているのか、いろんな理由が、答えがある場所で、思ってみる。思うことで自分をあやし、揺らしているのだと思う。

自分がその揺れのなかにいるときに観た。わたしは選ぶことができ、思ってみることができる。同時に、彼女のように「選べずにいる」ところで思う、というところには絶対に立てない。立てないことで追い詰めていることを、わたしは見えない、思えない。

 

目の前に連絡をしないまま過ぎてしまった人からの封筒がある。ここに印字された文字は私が文字詰めしたもの。このときの文字詰めに励まされると思う。