日記

とみいえひろこ/日記

2021.03.26

沈黙のカテゴリー Silent Category // クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地)。

 

入場券として、グレーの紙に白インクで『BLUE PRINT』と印刷された分厚くて小さな本を受け取る。

空白のページ=それを見たわたしに与えられた責任のような、意味のようなもの。何かわたしを黙らせるもの。未来や過去、そこに通じる死の時間。

と、

ブループリント // 青焼きのページ=誰かの思考の跡、わたしが出会うことのなかった誰かが居て生きた時間。

と、が綴じられた本。

 

/// 高見澤峻介「Geobserver」

この場所に、この日この時間の火が焚かれる。今朝、誰かの手によってあたためられつなぎとめられ、そのことによってここに流れこみ逃れてきた時間としての火があって、時間のたどりついた先としての今があって。今ここで揺れている蝋燭の火と、今この場所の空気や水との反応によって生じつづける電圧。この、生じつづける電圧の力によってインターネットサーバーが立ち上がる仕組みだという。

火の前に立つ。足下にチョークで書かれているURLに、自分の持っているスマートフォンでアクセスすると、火を見ている数秒前のわたしが写っている。更新するたび画面のなかに数秒前のわたしがいる。

あそこに、と声に指さされて顔を向ける。広い空間の外、窓の外のプールのようなところに水が溜まっている。今わたしの目の前に設られた管を通ってゆく水が、生じ続ける力の理由そのものとして通じてゆく。そのことが、何か存在そのものとして目に見えるかたちで自分に迫ってくる。

わたしのタイミングで更新するたびに消え続ける記憶と、焼き付けられる記憶と。会場は4階だった。「居る」感じ、自分の足が地面を踏んでいて、目に見える地面のもっと底に通じていく地という、面という、得体のしれない存在の「居る」感じ。何かが居ることのためにわたしが生きていて地面を踏んでいる感じ。それはわたしでなくともいいという感じ。

今日は天気が良く、炎が大きいという。白い炎の姿、揺れる途中の一瞬の姿。更新する前に、これが見納めで、この小さな画面におさめられた風景を、この場所で、このように、わたししか、今、見なかった。と思うと、更新するのをためらってしまう。ちゃんと見たのかどうか、これでよかったのかどうか、見届けるべきものを見届けたのかどうか。同時に、わたしでもわたしでなくとも、「居る」感じというのの大きな落ち着きが足下からのぼってくる。

 

/// 中村葵「Double Blue Future」「ヒューマンの鰓」

存在が、存在そのものが、かわゆくて、どうしようと思う。生命として生きのびるために分かれて捨ててきたものがある、殺してきたものがある。環境のなかで生命として呼吸し生きるためには環境に勝ち続けるしかなく、勝ち続けてきた生命としてここにいるわたし。

眠っているような、そんなのでは誰にも通じないと心配になるようななにかを呟きつづけすれ違いつづけている、ふたつのこの臓器のようないきもの。こんな弱いいきものをわたしが今日見に来なかったら、これらの命のあらわれって、いったい、見られずにここにいて、どうなっていたんだろう、なんだったんだろう。と思う。でも、わたしと出会わなくとも、沈黙の世界はつづいていたということも知っている。出会わないほうがいいことも、出会わないことで何かが生きることができる世界もある。

 

日中はいつも、修正、相談、調整、やりとり、できる範囲のこと、間に合わせること。夜になればやっぱり進みが遅く、落ち着いてとりかかることができないまま週末になり、ついに自分が間に合わないことに思い至り、週明け早めにお送りしますと伝える。夜のわたしがやってくれている、朝のわたしがやってくれている、と感じることもある。もう無理だとぜんぶだめにしてしまうこともある。段の上に立っているタイミングで、わたしが見上げるかたちになって謝った。謝る他人の言葉を他人の言葉として受け取ることのできる年齢になっていてよかった。よかったけれども、ほんとうは、わたしの知らない、分からない方法で、ほんとうは、うまくできるはずなんだと思う。わからないところでぜんぶだめにしている、その気配だけ。わからないことがずっとわからないままで苦しい。わたしでなければよかったのに、と思うのと、仕方ないのと。 

 

沈黙のカテゴリー Silent Category // クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地)

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