日記

とみいえひろこ/日記

2021.08.19

河田桟『くらやみに、馬といる』(カディブックス)

 

私がカディと向き合うとき、ヒト同士の関わりあいでは生まれない現象がそこに生じる。馬の認知のしかたはヒトと違うから、おのずと私はヒトであるだけの私ではなくなる。カディは馬であるだけの馬でなくなる。 

 

暗闇にあって、そこでは必要のない輪郭を外してゆく。自分がただ存在として闇に溶け込みひらかれていく感じなんだろうな、と思いながら読む。

 

聞く音すべてが心地よい、ということがどれほど自分をくつろがせるか

 

それぞれがそこに居られる、と感じられる場所と巡りあえたらほんとうにいい。感じる必要のない場所に。それぞれが巡り合うしかない。

書かれている暗闇を読んでいくとき、わたしと本のあいだに広がる暗闇を読んでいる。読むという空間に広がる暗闇をやわらかく切り裂きながらこの語りの方向を示す光がある。ぼんやりしたクリーム色のページ。この光に印字された言葉たちも小さなひとつひとつの闇であって、それらがいつのまにか「私」の告白を語っている、と思う。そう思うとき、そしてそう思うのを置いておいて読むとき、「私」の告白はそれを読むわたしの告白であるとも了解する。了解するとき、自分の輪郭の内側のものとして持ちつづけてきた時間たちが暗闇のなかに溶け込んでいる。読むことでさらに溶け込んでいく時間は暗闇のなかで「自分をくつろがせる」場所に出会う。

 

それぞれがそこに居られる場所と巡りあえたらほんとうにいい。それぞれが巡り合うしかない。暗闇を、他の誰でもなくわたしが読まなければ、暗闇はない。