日記

とみいえひろこ/日記

どうして

部屋には薄い、小さな、今にも割れそうなうすいうすいみどりの皿が冷えたままながく置かれており、埃でべたべたになっている。ぶあつい埃にまもられた皿はながい時間をかけて内面になり、あさい息をつづけていた。思い方を刻み、ノスタルジアを刻み、その皿にのせ、ものを量る暗い手がある。

 

どうして、と疑いはじめてから1年くらいは経っているのかもしれない。もっともっと経っている気もする。

どうして、もしかしたらやり直そうとしてみることができると思ってしまうところへ誘うかのように、〈時間〉はわたしのもとに現れたのか。今さら。どうして。なぜわたしのもとにまで現れたのか。もうわたしのことなどあきらめて許してくれたのではなかったのか。

手に抱えようとしたぜんぶが、抱えきれずに飛び散り、星になり、混じりあって、もう手から届かないところで混沌をつづけている。わたしはそのぜんぶのうち、そのときにわたしから見える面だけを手でつかみ、口にくわえ、腋にはさみ、保ちきれなくなり、手離した。それを何度も繰り返した。

その隙間に、または引っ掻いたときに生まれた傷に、ふと時間が現れた。新しい時間ではない、わたしが手に抱えようとしていたときにもすり抜けつづけ孤独に流れつづけてきた時間が。手に入らないものだと思ってきた時間がここに現れつづけているんだと、もう見過ごせないんだと思った。

今さら、現れつづけている時間とどう付き合っていけばいいのだろうと思う。

時間というのはとても受動的な存在なのだと知った。あまりに受動的なため、ほとんど吸引力そのものになった時間はわたしをもその時間のもとへ引っ張り出そうとし、わたしを時間と関わらせようとする。

 

返事を返さなければいけなかった。言葉が組み立てられずばらばらのままでも、とにかく、ここを空っぽにするために、返事を返さなければいけない。少ない、いくつかの知っているパターンで。この少ない手持ちのうちでも、さらにいくつかのパターンは間違った返事だと知っていた。それでも、時間がなかったから仕方ない。間違いを正すために費やす時間がなかった。いつも、答えは持っていなかったし知らなかった。

次から次へと返事を返さないといけないものごとがわたしの体に密着するように折り重なって置かれるため、いつまでもここが空っぽにならない。もう少し離して置いてほしい、くっつかないでほしいと思うことが多かった。返事にながくかかるものはさんざん待たせ、去っていったものもあった。このやり方ではながくかかるものには返事を返せない。刻んで何度かの返事に分けることにし、とても遠回りをしてなんとか弱い返事を返す。こんな返事に意味はないはずだと思いながら。

現れつづける時間の前に手を垂らし、返事をもとめてくるあれらにわたしは今もこういう関わり方でないといけないのだろうか、どうして、わたしはその関わり方しかないということにしていたのだったかという疑いが溢れ出しつづけている。