日記

とみいえひろこ/日記

2021.01.06

たぶんわたしが調べて、常識的ではないと感じたとしても、いろいろなものをとりはらって、本人に応じるようにして伝えるしかない、それ以外ない。そう思うことがある。うすうすそう思っていたけれど、失敗するのを避けたかった。そのつもりでよく調べてそうするのでないのなら、しないほうがいい。と思って。それは正しいとして、

時間が来たらちゃんと戻れるのだから、時間内でそう思うことをちゃんとやったほうがいい。

理由はいくらでも増えていくし変わる。

 

テラス席でもないのに寒く気忙しかった。わたしなどから言ってもまあ聞かないな、意味ないな、でも今いるのがわたしだから。そう思って伝えた。もっと伝えようがあった。もったいなかった。いつ言おうか考えながら聞いていたから、相手が話すのを睨むような顔で聞いてしまった。

 

干刈あがた『しずかにわたすこがねのゆびわ』(福武文庫)。ながく間が空いたりしながら読んでいたもの。複雑に織られたものがあたたかく揺すられほどかれ、機微というものが解明されていくようで、愛おしくて、落ち着く。もっとゆっくり読みたかったけれど、またいつか。と思う。

誰かがいて誰かがいれば、そしてその誰かというのは心のなかの誰かであっても、話が始まってしまい、交わってしまう。書かれているぜんぶが会話のように思える。小説でしかなされない会話が書かれているのではないかと思う。ひとこと、ひとこと、言葉が交わされ、向こうへ、ここではないところへ、どの言葉もにじり寄ろうとする。にじり寄るにつれて、そのひとことひとことの裏側にはりついたままの沈黙や矛盾や葛藤や、にじり寄る力がなかったものたちが根を張り、内側で熱を持つ。間にはさまれてそれを持ちこたえることができないで疲れている生身があって、体力や柔らかさを獲得していく。