日記

とみいえひろこ/日記

2022.01.24

自分の感じつづけていた罪悪感はじつは、人間が普遍的に感じる、生きることへの罪悪感だったとも、私は知らされた。そして、その罪悪感は生きることの喜びにもつながる。悲しみ嘆くことも、生きている人間の営みのひとつなのだった。

津島佑子『快楽の本棚 言葉から自由になるための読書案内』(中公新書

 

いくつかの弱点があって、困っている。いつもそこが文字通り分かれ目だと思う。困る状態があるのはいつもその弱点が関係していると思う。自分ひとりのことなら困らないのかもしれない。相手がいるから困る。場合によっては、ということをいつも抱えている。場合によってはほんとうに駄目にしてしまうと知っているから困っている。時間をかけてやっていくのもいいけど、そんなこと言っている場合ではないことについて困っている。時間がかかり、時間切れで駄目にしてしまう。このやり方では駄目。これでは駄目だ、と、時間ができたときに思う。時間がないときのほうがまだましだったのではないか、とふとよぎるけれども違う。

ここが弱点なんだというのをわかっていく。相対的な弱点という意味もあるけれど、ひとりきりの自分のなかでの絶対的な弱点という意味もある。コンプレックスともいえる。わからないもの。どうしても、わたしにはわからないでいつも靄がかかっているようだと思う。気配があることはわかっていても、どうしても自分の手にはそれは負えないもので、近づくことすらできないものだと知っているもの。その方法でいくことはわたしには絶対にできない、というところに力がかかっていて、ぎゅっと屈んでばねのように押し返される、その力には乗れる。弱点は、わからないから、手元にない。困っていることを手にもっていて、あふれている。あふれているものをそれぞれの在処へできるだけはやく自分の目に見えるように引き摺り出し、面を線にする。力に動かされながらその線を辿っていき裏側へ渡る。引き摺り出し、面を一時的に線にすることは、たぶんわたしが編み出した自分だけのための方法だと思う。仮でいいから、はやく分かっておきたい。そうだったのか、と一回止まる。じゃあ、ぜんぜん駄目だったじゃないか、もっとはやく知っていたらよかった。知るタイミングは何度もあったのに、だからそういうことだと思い直す、いつも適切に時期は来るものだと思い直す。

creative cloudの更新がうまくいかないかもしれず、うまくいかなかったら何日かべつのことをしようと思う。