日記

とみいえひろこ/日記

2022.05.08

時間をもらったらそれはそれでまったくぜんぜんかたちにならず、いつも頭のなかがそのまま出てしまうというところにかえる。作業の沼ではまってしまって、沼というけれど、わたしの感じる沼は同じところでぐるぐるするだけで先へぜんぜん進めない沼で、たくさん資料を買った。ここまでというところでなんとか渡せた、とりあえずは。また戻ってくる。

吉田隼人『死にたいのに死ねないので本を読む』(草思社)。何もしない、もう無理、少しずつつながりあっていながらばらばらのいくつかの気がかりばかりがからだに溜まり、重くて動けないとき、本読むのも無理、というときにこのタイトルの本があったなと思い出して読んだ。お風呂に入る力が湧き、お風呂で読む。言葉の連なりの通りに順番に読めるようになる。順序が整い、途中になって、そのまま置いてある。「のに」「ので」を自覚なく経験する液体のような時間、果てしなさすぎる時間がただある。仮にでいいから、少しでいいから、といってそれらは言葉に置き換えられる。置き換えられるまでに引き換えにした時間、失った時間、それらをずっと抱えている言葉は、液体のような泥のような時間を食い、広がり、浸し、溶かすということをする。言葉は読まれることでその経験を人に渡す。