日記

とみいえひろこ/日記

2022.05.20

サバイバーという言葉は、生きている人を肯定する。でも、それは死にたい人、死んでしまった人を否定する言葉だ

 

この本を読んで覚えておきたいと思った言葉の多くが、いつか著者が読んだり聞いたりした、誰かのいつかの言葉だった。生き残ったものと生き残っていないものを自分のなかに抱え、生き残ることを選ぶなら誰のために何のためにどのように「主体」であることを選ぶのか、どのように選ばないのか、どのように「主体」を脱ぎ着するのか、どこまでどう受容していくのか、それらの補助線を自分で引いてゆく、引き直してゆくみちすじについて書かれているところにとても惹かれた。ということ。

 

私は、というとき人は、相手のもっている言葉でつづきを続けるしかない。あなたは私の何も知らないし、私と共有するものは何もないから。あなたに伝えるとき、私はあなたの言葉を盗みながらあなたに話す。

あなたは「私は、」のつづきの言葉を聞くときに、あなたのもっとも弱いところで受け止めなければならない。

私があなたの言葉を盗みながら話す言葉は、あなたの言葉ともやっぱり違ってしまう。ただ、私の話す言葉がもとはあなたの言葉だという共通理解があるから、あなたはそれをはじめから知っていると考えてしまう。けれど、私の話す言葉をあなたの言葉として奪い返してはならない。かといって、ほんとうはけっしてそれは私の言葉ではない。私もあなたも理解してそれを自分のものにしたいという誘惑に常にかられる、けれどもその誘惑に翻弄されることでもっとみじめなことになるとわかっている。私の語る言葉は私のものではない。あなたの言葉になどならないところ、言葉になどしないところがいつもほんとうは私のものだった(私のものだった、と心のなかででも言葉にするたびに、もともと私のものだったものが今度は私に奪われてどんどん見えなくなる)。

たぶん、あなたはあなたの経験のなかからもっとも弱いところをさがし、そこで受け取ろうとすることが鍵なのだと思う。受け取る経験をしようとするところが、鍵なのだと思う。破れそうなところ、重たさや破れそうなその布を通した感触ならあなたは感じることができる。この感触があなたの受け取った感触で、それを伝えるためにあなたが今度は「私は、」とつづきを続けなければならない。私にはあなたが受け取ったそれを知ることはできないから。

あなたは私のつづきの言葉を聞くときに、あなたのもっとも弱いところで受け止めなければならない。それは、それがあなたのものではない、私のものではないとわかっておくための、自衛の手段でもある。あなた自身はいつも別のところにある。

 

『当事者は嘘をつく』小松原織香(筑摩書房