日記

とみいえひろこ/日記

2022.06.30

押見修造『血の轍』(小学館)。家族で読んでいて、きのうひとりで家にいるときに届いたのを開けて玄関のそばでしゃがんだまま読んだ。11巻まで来た。静一くんどうにか逃げ切ってほしい。1巻から、どうなっていくんだろうとかいうことをなんとなく話してきた。話しているうちに、こんなのどんなふうにも展開できてしまうじゃないか、ものごとには何通り、何百通りの展開があると気づいてしまう。11巻まで来たらくらってしまい、何かがゆっくりゆっくり自分のなかに沈殿していく。言葉にならないうちに日々のなかで忘れてしまう、けれど、言葉にならない時間は大事だなと思う。

どうしてもゆるしようのないものとの関係のもちかたについて。同じことしか読めないのだけど何度もこういう本に惹かれて読んでしまう。折り合い、などというけれど、それは嘘だ。

負債の経験の根本にあるのは、これは厳密に人間に限定できるかどうかわからないけれども、要するに“生まれる”ということです。

鵜飼哲『償いのアルケオロジー』(河出書房新社

折り合いがつく、つける、ということが起こるはずはなく、大人になるということは、成熟するということは、折り合いをつけるということでもないんだと思う。大人になることや成熟することが良いことなのかどうかは分からないし、わたしの使う「良い」という言葉は何を略したり言い換えたりしてこうなったのだっけと思う。ただ、老いて死のほうに近づいてゆく体に沿って生きやすい生き方は大人になることだとひとりひとりが見つけてきてこういう規範や認識ができたんだという気配はわかる気がする。