日記

とみいえひろこ/日記

2022.08.11

別のを何度か、観ようとして何度も途中でやめてしまっていて、「花様年華ウォン・カーウァイ/監督。こんな筋だった、ぜんぜん覚えていなかった。

秘密を告げる相手は、誰でもよかった。すべて終わったあとで、誰かがあなたになった。あなたともう会うことはない。誰かがあなたでよかったと、誰かは思う。二度、片方は声をあげて泣いた。一度目は、こんな泣き方をもうすることはないと思っていた。二度目は、自分で泣く声を確認しながら泣いていたのかも。泣き直す。こんな泣き方をもうしないだろう、でも、自分はまた泣くだろうと知りながら泣いていたのかもしれない。

見たい、と観客が思ってしまわされるものの顔が、どこかでべつにたいした秘密じゃなかったよというように登場する。ほんとにそれは秘密じゃない、見えても何もわかることはない。見えるものをいつもわたしは、わたしたちは信用し過ぎてしまう。

 

戻ってきて、ああいう医療施設の、ケアにまつわる事の運び方、ものごとの告げ方や、時間を与えてくれること、意思の確認の準備としての相手の尊重の仕方、〈それぞれ〉の〈その後〉への添い方、〈それまで〉の放っておきかたや肯定の仕方、など、など、とてもとても学ぶことが多かったなあと思う。