でも、とわたしはいつも、たくさん思う。でも、
そうやって少しでも進むことが大事だ、と思う。でも、なら、続いていくことができるから。でも、
親の障害「認識」という問題はすべての問題に先行している
でも、それができたらいいというのは誰も知っているんじゃないか、と思う。わたしは、わたしが現在この環境にいるわたしだということに限って、この「認識」(「親の障害『認識』という問題はすべての問題に先行している」という認識)に同意している、と思う。自分ができないことを捨ててきたのはここを大事にしたいと思ってきたことだったかもしれないと思う。それは自分の「選択」を都合よく思おうとしているとも思う。そして、ほかの環境や立場の、ほかのひとやほかの関係について自分が何かを言うということなどとてもできないし、何も知らない。
できないことを捨ててきたことが大きな間違いだったということも(のほうが、もしかしたら、)充分有り得る、そんなのわからないし、いつもぎりぎりの駆け引きだと思う。ずっと前回出した答えを引きずっている、でも、違うかも、そう修正していくようにしか進めない。でも、できることしか選んでいない。
聞こえない子が聞こえる人と同じようになるために勉強する必要などどこにもないのでは
ヒルバーグ的立場(=「どうして私たち(私)はそのようなことをしたのでしょう?」)でものごとをみるということ、「どちらつかず」の境界線上で生きることは自己イメージが結びにくいということ、その前に(でも、)それは何にとって生きにくいと、排除されるべきとされているかということ、関わりによる本人の思考の流れのパターン、たくさんの本からの引用、注釈が心に食い込んだ。「クレオール」の語源も。共通言語でないふたつ/ふたりの人間の接触によって生まれることば(=ピジン)の環境のなかで、あることばが生まれる。やがてそのことばを母語とする子が生まれる。母語がピジンという間に合せのことばだったのが、語彙や文法構造が整い編み上げられていく、その変化をクレオール化という。「中途半端であったことばを独立した言語に編成し直していくという子どもたちが持っているこの不思議な力(言語能力)」。ここから、聾児たちが構築していった独自の〈独自で、完璧に整い編み上げられた〉手話言語のことが書かれる。
口語法の教育を受けてきた女性のことが書かれていた。
「もう絶対、声は出したくない。声を出すのはイヤです」と何回かはっきり(もちろん手話で)言ったことがありました。
彼女は、手話の得意でない母とだけはずっと口語でことばのやりとりをしてきた。
こうして私と母が口話で話す、この方法が小さい時から、母と私のことばでした。(略)いいとか悪いとかではなく、これが私と母のことばだったわけです。母と話すとき、私にはこのことばしかなかったのです。
どうして、こんなに時間がなくなるんだろう。自分の、他人の(誰にとっての)大きな意味での「善意」の見きわめに費やす「時間」との格闘に、とてもとらわれ、疲れていると思う。そしてけっこう間違えていると思う。
どうして、私は、何のための何に時間を費やして/費やそうとしているんだろう、とよく思う。