日記

とみいえひろこ/日記

2023.1.2

休息は終わりが見えない。いつまで休息すればいいのか、いつか気が済むのかもしれないし、何か変わるのかもしれない、でもいつか、これがほんとうに終わるのかどうか、不安になる。消えたほうがいいと感じる、消えてしまえたらと願う、そういう旅をして、不安が普段とべつの場所に移動している、すぐ隣にいる、と気づく。また明日が来る、と思う。うやむやになって終わり。休息は怒りみたいと思った。

アニー・エルノーの小説をたくさん読んだ。富岡多恵子中勘助の恋』(平凡社ライブラリー)も読んだ。この本が衝撃的でむかむかして後を引いた。

この人は何を守りたかったのか、守らなけばいけなかったのか。ほんの少しのズレなのかもしれないけれど、決定的に踏みにじってしまうこと、ぜんぶ自分の道具にしてしまうこと。こういうことは、ほんとうによくあることで、こういうことばかりで、自分も同じじゃないのかと、胸がざわっとする。気になる。自分も同じじゃないか、思い当たることなんか、たくさんある。「この人は」と言って、今わたしはこの人を何だと思い何のための道具にしたか、見つめがいがある。

守らなければいけない力が働いている磁場があって、道連れになって飛び込んでいった者たちが、そこであがいてほんとうに生きた姿の実際は、中勘助の見ていたそれとはぜんぜん違う姿だっただろうと思う。あくまで恋は「中勘助の恋」だった。

 

アニー・エルノーの淡々とした味気ない文体、詩に陥らない文章は、中勘助の「日記」と逆の書き方に思える。外に、そこに、そばに〈ある〉ものを書くことで自分のものや自分という幻を昇華させる力を経験する感じ。陥ってしまった場所を書くことで経験を埋め尽くそうとしてくる心に傷をいれる、切り開く、目を開ける、夢から覚めようとする、という感じ。

是が非でも真実を、そして—そう、話は結局そこへ行くのだ……—幸福を手に入れることを目的として心の中におのずから生まれる、貪婪で、かつ苦悩に満ちたあれらのレトリックの総体を描くことを。

アニー・エルノー 堀茂樹・菊池よしみ訳「嫉妬」『嫉妬/事件』