人はどんなやり方をしても救われないが
わたしたちにそれが必要なのだろう
なにを浴びても
外にものごとはないという度量で
川は外を流れている
「長い橋」(川田絢音『雁の世』)
「怪物」観た。映画観に行ったのほんとうにほんとうに久しぶり。観に行った方が良い状況になったと感じたから、こういう時間をこれからもつくろうと思った。
私も、ずーっと考えてしまう。
・時間がどう動いているのか、どうつながっているのか、どういうルールなのか、掴めないで、思い出そうとする。思い出そうとする力が自分のなかに残る。
・穴。出てきてはいけない穴。のぞくもの、のぞかれるもの。のぞくものには、何も見えていない。燃えていたのが、金閣寺みたいだった。
・人のことはほんとに分からない。絶対に分かり合えない。通じた感じがあっても、ぜんぜんほんとうは違うんだ、愕然としながらそれだけを思って帰った。
・何か持っている子、と分かる子。そのひとりの子だけが、私には、ほんとうのことを言葉にしているようにどうしても思える。と書けば、ずれてゆく。「出てきてはいけない」という理屈がその子にはないから内面がそのまま外に出て行く。それだけのこと。
ほんとうのことが言葉になっていることというのは本来あり得ないことで、その子だけ別のルールに沿ってあり得ている。そして、実際に、世の中はそうなのだと思う。「真実」を、何かもっている子に負わせすぎているということ。都合よく言葉になるものが「真実」と呼ばれ、「幸せ」もそれくらいのこと。
・内から聞こえていたのか、外から聞こえていたのか、聞くというのは内から出ていくことなのか、外を抱きこむことなのか、風の音があって、火の音があって、誰にも言えない声があって、物語は終わる。
終わる。でも、それでも、ぜんぜんそれではだめなはずなのに。ほんとうにぜんぜんだめで、ゆるされないはずだ。それでも、全員が絶妙に自分にとって楽な解釈をしながら生きていく、生かし合っていってしまう。それでいい、ということはないのに。残酷で、ほんとうに残酷だ、と思う。
鄭智我 橋本智保/訳『歳月』、中島義道『差別感情の哲学』、武井麻子 深沢里子 春見静子『ケースワーク・グループワーク』など。