Hさんが自分のすべてが見えるようになるためには、いったん躁状態という時期を経るしかなかったのかもしれない。
症状という表現が回復そのもの、ということを、思い出し、忘れ、思い出す。
そのことが遠因となって、Hさんが自分の中の暗い部分に、無意識のうちに目をつぶり、見えないふりをしていたことが、だんだんと明らかになっていった。
解釈、洞察といったプロセスを経て、ちょっとした退行――すなわち子ども返りの時期も乗り越えて、 Hさんはしだいに自分の中の二つの部分を統合していくようになったようだった。
加藤忠史『躁うつ病とつきあう』
『犬、走る』『小山さんノート』、西川勝『「一人」のうらに 尾崎放哉の島へ』など。