日記

とみいえひろこ/日記

2022.11.26

植民地というものが、仮に資本主義による搾取の歴史であるとしても、植民地が醸成した文化は、その統治が終わっても容易にその土地からは消え去らない。不平等な環境で利益を一方的に収奪される歴史があったとしても、そこに生み出された愉楽は、それを享受した側のみならず、「贅」を差し出している側にも強い影響を残す。それはおそらく、そこに昔からある風土の魅力やローカルの文化が、グローバルな文脈に差し出すことのできる豊穣、つまり価値の鉱脈として探し当てられた時間を、ローカルの人々の心の中に残すからかもしれない。

原研哉『低空飛行』(岩波書店

 

この箱では、この部屋では、何をどんなふうに思ってもいい、という場所があるとして、

どこまでも受動的であること、という思想や見方、態度がわたしはやっぱりとても気になる、惹かれる。そこからしか見えないものがあると思う。この見方がいちばんものごとが見えるように感じていて、この浅ましさや貪欲さにえづきつつ、そのことを考えたくて

「それはおそらく」以降は私は違うと感じる。そんなうまくいくことめったにない、という実感のほうがつよい。けれど。