日記

とみいえひろこ/日記

2020.11.18

犬の心臓が速くてドキドキする。抱っこすると尾がどういう位置にあればいいのか扱いに迷う。自分には尾がないから。近くで見るとくちびるのキワまで全部小さい歯のように見えると知る。黒い爪には神経が通っているのだという。

動物を飼うことはミステリアスなことで自分が飼うことになると思わなかったし、自分とはべつのこの生きものに対してこんな気持ちになるとは思わなかった。命がここにある時間が短いぶん、魂がぎゅっと熱く圧縮されて重みがあったり見えるように感じる。

この生きものが纏う時間と自分たち人間の生きる時間が違いながら並んで流れていることが不思議でたまらないし、言葉が一生通じないこと、言葉で分かり合うことがないということに神聖な気持ちになる。

不思議で不思議でたまらないのと、相手はこれでいいのかぜんぜん分からないけどそのときそのときに自分の態度をひとつ決めて、そういう状況になるように対応しようとする、それを積み重ねるしかないと思うのと。それなら自分がやりやすいから。

人間同士だと言葉の意味は通じてしまうけれど、ほんとうはなんにも通じないし通じてきたことなどないんだと知る、思い出す。相手はこう言っている、こういう態度にわたしには見える。あるていどそういうことにしないと前に進まないと思い、想像しながらその人と付き合ううちに、ただただ自分ひとりがそうであることを相手に見て、ひとりの迷宮を巡るだけのことなんだった。そうだったと思い出すと、なぜいつも忘れてしまうのかげんなりもするし、楽に感じるような気もする。

何度も叫んでいる声を放ったらかしにされ、聞こえないときはこれをしるしにしようと言ったことを無視されたと感じ、自分があほみたいだと感じて怒った。ただし、わたしたちの関係はいつも対等ではない。このことが、ふとしたときにやはり意識から漏れる、そこが自分の失敗のように思う。せっかく積み上げてきたものがこういうときに一回でぶちこわしになってしまう、何歩か下がる。

でも、口で言っていることではないことが相手に伝わってしまうのだし、こういう事態になったのならできるだけ正直に自分の思う理由や自分がどう考えているかを説明しようとする方向でいくしか、今のところできない。怒りやむなしさをなにか別のものとしてとらえることは自分にはまだ難しい。

ヨドバシに寄ってどのMacを買うかほぼ決めた。買ったほうが今よりかなりやりやすくなると思いつつ、かなり長い時間が経った。

「シリーズ ケアをひらく」の本をつづけて読んでいる。