日記

とみいえひろこ/日記

2023.08.20

犬を飼っていると、飼わなければ出会わなかっただろう人に会う。夏の終りで、秋の風がほんのすこし上のほうにただよっている朝早くに、身ぎれいにして、いやな見方だけれど、生活のいろいろなことがぜんぶ私より「上」の水準の人、お金の苦労もなさそうな、とこちらが思う人。いつも余裕があって優しい人の後ろ姿を見かけた。見かけたときは私は犬を連れておらず、声をかけなかった。この人の飼う犬は、年をとって、小さい、ゆっくり歩く犬。べろが地面についてしまったりする。こちらの犬がぐいぐいいってしまうタイプなので、この犬と人にはいつも、少し距離をおく。

この人の犬を飼う理由があるんだ、と思う。誰にも理由があって、ほかの誰にもその人の理由が分かるわけがない。見えている、言葉になっていると感じていることには、ほんとうは何の意味もない。ただただ「安心感」のためのものなのかもしれないし、かたちになっている、と感じる時点でほとんどすべて嘘だと思う。

わたしの理由は、犬の理由も、ほかの理由も、ほぼすべてがなりゆき上だとあらためて思う。どんどんそうなってきたし、それが居心地が良いのだろうと思う。はじめからそうで、繰り返すうちにやり方が自分のものになって、ほんとに居心地良くなってきたのだろうと思う。やっと自分を少しずつ扱えるようになってきた、ともいえるのだろう。「好き」もなく、「嫌い」もなく、ほんとうに最近、なりゆき上のものごとを抱える自分のそのときのキャパシティがどのくらいのものか、いろいろな意味でやっとほんの少し実態と合ってきつつある感じがする。目の前にあって見えた・見えていない・見えそうなものごとについてはきっと応じる責任があって、できるだけ、自分の外にあるそのぜんぜん分からないものへ基本的な尊敬をもって、いけるところまでいこうとすること、そのなかで起こることについて、自分が持つ思いや考えとちゃんと出会うことが、大事なのだと思う。と思っていると思う。

もう充分。そのほかに何も思うことがなく、長く放ったらかしにしていることがある。ただ、内側で放っておけないままにして毎日毎日持っているから、という面もあるのかもしれないと思う。それが何なのか、分かっているのに言葉になっておらず、ただ疲れた、充分、という感じ。これについては、ここから先にほんとうになかなかいけないで、ずっと後回しにしている。

 

末木新『「死にたい」と言われたら 自殺の心理学』、レベッカ・ブラウン 柴田元幸/訳『犬たち』、アシア・ジェバール 石川清子/訳『愛、ファンタジア』など。