日記

とみいえひろこ/日記

井戸と梔子

没頭して自分の目の前のことしかみえなくなってしまうことがあるから、わたしに迷惑をかけて泣き喚き、わたしに気付かせつづけてほしい。あなたとは契約を結んだ、そのときに生まれたわたしの役割を放棄してしまいそうでいつも怖い。怖い、全身で怖い。全身で怖いときやっとわたしはわたしでいられるので、わたしといるのならおまえはわたしを怖がらせつづけなくてはならない。

最初に彼にそう頼んだ。彼はわたしとの約束をまもりつづけ、わたしのために泣き喚く、そのための声を井戸から汲み上げつづけた。井戸の傍には梔子の花が咲いていた。

何でもよかった。思いつくかぎりの迷惑をふたりで編み出しつづけた。その迷惑を実行しつづけ泣き喚きつづけた彼のほうが力尽きた。わたしは残された彼の井戸を捜し当て、水を飲み尽くした。井戸はからっぽになり、梔子の花も枯れてしまった。

ここはずっと夏の終わり。わたしだけが生き延びて、梔子の花の記憶が流れている。わたしにはもう怖いものもないのに体があって、生まれつづけるむなしさを感じる体がここで暮らしている。ずっと、夏の終わり。それでもゆっくりと季節は流れているらしい。