日記

とみいえひろこ/日記

2021.04.26

3度目の緊急事態宣言。「不要不急」というのはつまり「経済」が生き延びるためのいとなみから遠い価値観か近い価値観かということなのだろう、「人」が生き延びるのに「要」で「急」なのは「経済」が生き延びるためのいとなみとは距離のある、別の価値観をもった行為なのだろうけれど、その行為をするにも、その行為が発生する文化をもつにも、それらの行為や文化を資本主義という大きな枠から逃れて生き延びさせることは今誰にもできない。

話がかみあわない、目的が違うから。生き延びて「人」に遭うために必要な「自分の存在」を生かすために、自分たちが砦として築いてきたその大きな枠内で「存在」が息をしていられるよう、振り落とされないようにその場しのぎのいろんな姿勢や手段でうちがわに張り付きつづける、ということがぎりぎり必要なのだろう。その、うちがわに張り付いて自分の存在を死なせないという行為は「抵抗」と呼ばれてきたものだろうし「文化」と呼ばれてきたものだろう。

そして、わたしは人間のからだをもって生まれたためわたしが生き延びたいとしがみついてしまう、痛い思いをするのは怖いとしがみついてしまうけれど、「わたし」や「人」や「存在」が生き延びなければいけないという道理はない、不要不急というわけでもない。なにか、ほんとうに必要ないとなみにとって。

BTS花様年華のMVを口をあけてみてしまう。「分かる」という手応え、生きている感じ、の前にある未分化の「感情」「つかめなさ」という精神的ないとなみのなかに流れる賢さ、はりつめた時間の感じ、人の声やしぐさのあらわれ、何か自分がそうせざるを得なくて捨ててきたものを身をかがめ拾い集めて真暗な場所に置かれているように感じてしまう、惹きつけられる。同時に、この懐かしがり方は何か危うい価値観に簡単に通じていくもののように感じる。ここで「分かる」といういとなみが自分の助けになると思う。分かり、「分ける」のは自分のため。