日記

とみいえひろこ/日記

2020.11.21

・声にのせられる言葉は今このときの言葉。聞き留められなければ、二度ともどってこない。

書かれる言葉にはすべての時間が流れていて、でも〈今〉だけがない。書かれ、刷られてバラバラにされた言葉の、その影にも満たない何か欠片のようなものを読むとき、読む者が普段抱え切れなかったり飲み込まれていてどうも掴めずにいる〈今〉が、そこに定着していくような、埋められていくような、感じがする。読む者にとって「今このとき」よりも差し迫っていて、実体のある〈今〉。

 

・動物にはいい思い出をもっていってもらうだけ、人間の子にはそれだけというわけにはいかない。そんな立ち話をいつかしたことを思い出す。ただ、人間と暮らすかぎりやっぱり犬にも思い出だけというわけにはいかない。おもにその子がどんな場所で生きて死ぬかによって良いこと悪いことが決まり、それを教えなければならない。

犬がかわいすぎて人間なんかどうでもいい。心からそう思うこともできる、紫の夕方、冬のはじめの空、白い消えそうな雲、消えたいと心から思うこともできる。

人間の赤ちゃんひとりと居た時間。その子のほかの人間をすべて憎むことで自分が自分の時間をつないだのは、そうすることで自分がまもるべき範囲を自分にたいして明確にするためでもあったと思う。まもるべき範囲というのは自分がそこにいて応答する範囲。嫌な、苦い、自分だけのわからなさを、相手のそれはわからないながら別々にそれぞれに味わいつづけて自分をその時間に縛り付けるための。