今こちらに時間を割いている場合ではないのに
がんがんに詰まってくる。何をやるにも力が要る、力がない、出ないというより。
こちらではなくて、こちらを、こちらにより近いことに自分の時間を割きたい。読み間違えたり重なるタイミングがあって、
どちらの方向にも罪悪感といらいらを抱えることになる、この感じが不快で悔しく情けない。ただ、この感情や理解の範囲内でどうにかして切り抜けてまた同じことをするのは避けようと思う。思う、というのはにじり寄っていくイメージ。思っているのに、ということ。
おりものの感じとかもこんなだったのかどうか。体の器官として名付けらればらばらのものとして教えられたとおりに感じ取っていた感覚が、一緒くたになって混乱した時間があった。今、どの器官がどうなっていてどうしたいのか。どこまでが自分の範囲なのか。環境や知識によってこんなにがらっと変わると思ったのと、この混乱する感覚は、そのひとの、たぶんその、自分が抱え続けていると思わずに抱えていることと、抱えることしか選べないことを抱える感覚とともに、自分にとって、自分が想像するのに役立つと、思ったんだった。この感覚を高めていった混乱を、いつも抱えている、それは息苦しいしすごく疲れる、と想像する。と書いたところで、そうではなく、いつも抱えていること自体はまったく息苦しくなく疲れない、安心することだということ。息苦しくさせ疲れさせる状況のほうを言っていて思っているつもりでいつも省いてしまうというところに戻る。
犬の動画もつくった。自分たちのために。
Drive boy, dog boy, dirty, numb angel boy
In the doorway boy, she was a lipstick boy
She was a beautiful boy and tears boy
And all in your inner space boy
Underworld - Born Slippy (Nuxx) (Creative Commission versio
FUJI ROCKとかで踊ったような、朝焼けを見たような、それは幻のような、若い時などぜんぶ幻だったような、くたくたのところをさらに疲れ果てさせるという、からっぽの、いざないの、飛ばすやり方がある、と、思い出させるのがきのう今日気持ちよくてかけている。