日記

とみいえひろこ/日記

2023.04.07

一日中、今日は金曜なのに土曜みたいな気がしていた。他のことをしながら流し見だけど、3本も1.0倍速で観てしまった。それで、すとんと沈んでしまった。確かめに行き、もう終わったことを意味がないのに言い、ただそのあと私には意味があったのかもしれず、仕方がないとも思う。もともとそんな抱えられなかったということ、失敗ともいえるし、そのときはそれがたったひとつの適応のかたちであって何のラベルも貼りようがないとも思う。生き残っているということはいつも今の状態が適応のかたちということ。

「男と女」(監督/イ・ユンギ 2016・U-NEXT)がとくに、よかった。恋愛映画だけど、そうではなくて、ひとり抱えること、本人のなかにだけ抱えている時間があること、本人にだけ見えているものがあること、が描かれている気がした。

流れて行ったそれを、ジョンファはジョンファの時間のなかで見ているだけだった。まわりにとってはその時間が長すぎて大ごとになってしまった。ひとりひとり抱える時間の意味が、流れ方が、ぜんぜん違っているということ、彼のなかの時間の感じは特徴的であること。彼女がもう1回ここに今あるものを彼の目の前で流し、取りに行き、大丈夫と言ったのは、彼の抱える時間の感じが自分たちとは違うということを理解していたから。今流されて、方法があれば今そこに手を入れることは出来るということをジョンファは目の前で見た。手が戻って来て、今ここに戻ってきた。

深い雪のシーンに始まって、熱が融かすのか、感情があらわになるのか、雪に覆われる前に降っていたはずだった雨ばかり。雨ばかりどんどん降り直す。最後のシーンはまた雪。白く覆われてもう誰にも見えないけれど、内側に、雪がひとり経た時間。

母親のほうがもといたところを離れるのも、似ている境遇であるのに/あるから、話すことが何もないということも、描きたかったことなのではと思った。本当には何も理解していない、ほうが物理的にそばにいることを選んだということなども。