日記

とみいえひろこ/日記

2021.05.11

ひとつのことにかかる時間は10年、20年、30年、もっとかかる。10年、20年、30年、もっと以前のその場所を見直しにゆくしかないんだな、自分の範囲と相手の範囲を分けるためにできることは、こちらが自分のことをするということしかやっぱりないんだと思い、見直しにゆく。時間がかかるけど、それでもこれがいちばん速いんだと思う。

今、こんなところまできてしまって、倍速で彼女が話すのを見ていた。見ていたのはもっとずっと前から。そのずっと後で気づく。話している彼女がどういうふうに振る舞うか、わたしはよく知っている。わたしはどうしてかその感じをとてもよく知っていて、できることならただただ他人で、眺めていたいなあと思う、いつ出遭っても。彼女は偏在している、ふいに現れるし、いつも膜の向こうにいる。

膜の向こうに透けていて見えるけれど、絶対的に隔てられていて世界が違うのだから、眺めるのが正解だと思うんだけど…うつむいて思っている。

それは違う、ぜんぜん違う、そんなのずるい、ずるいどころじゃない。と教わったように思う。片側にいる者だけがただ眺めているというのは仕組み上無理があるし、倫理的にゆるされない。ゆるされないことはないのかもしれないけれど、わざわざ今わたしが仕組みを壊してまで自分のやり方をまもるものでもない。その先に何もないのにただ眺めてしまうというなら、何かしらのかたちでそのひとと、そのひとが属するものに関わらなければいけない。

そのとおりだと思う。相手はモノではないのだから。自分は何も考えず失礼な真似をしてしまうときがあると思う。たしかにあると思う。

何かしらの関わり方で…その、関わり方において、わたしはいちばん安易な関わり方を選んでしまう。ほかの関わり方があると思うのに。あらかじめ用意されている関わり方はそれしかないと教わったわけでもないはずだけど、それしか思いつかない。でも違うやり方があるんだけどな、あると思うんだけどな、ほんとうにわからないな。膜のこちらで思っている。