日記

とみいえひろこ/日記

葛原妙子『縄文』

貝の中に婦人の像を彫りこめし異國土產にくさり光れり

蒼ざめし一枚貝のなかにゐる貝婦人月婦人ともみゆ  月・げつ

 

鴉のごとく老いし婦人が樹の閒ゆくかのたたかひに生きのこりゐて

花瓶にときをり捨つる吸殻は落葉の影となりて溜りぬ  瓶・がめ 落葉・らくえふ

 

水平線膨れやまざる海に向き突き入る陸を受身とおもふ  陸・くが

 

棘のなき薔薇をひととき夢想せりこの上もなき低俗として

望遠鏡にこの夜覗きし靑白き冬星エネルギーを浪費す

 

蝋燭に片顔を照らしゐるときの寂しき人にちかづくべからず

 

 

『橙黄』が、ここにわたしという人間がひとりいるということが書かれているのであるなら、『縄文』では、もうひとりいるわたしのことが書かれている。と読んでみた。書かれることをとおして、もうひとりいるわたしに気付く。書かれることをとおして増殖するわたし。

一首のなかで言葉が対比させられるように並べられていたり、並べられた二首が支え合っているように印象づけられていたり。残された言葉の逆にあるもの、低俗という言葉の逆にあるもの、言葉になることがなく永遠に見えないままの片顔。

片方の言葉が選ばれ、書き残される。書き残されるその前に、長く激しい、闇を渡る時間が埋め込まれている。対比関係にある二極の遠い概念の間を揺れ、行き来する時間。

 

浮雲のある街をゆくしづかなるものを肩に乗せたる感じに

 

葛原妙子『縄文』(『葛原妙子全歌集』(砂子屋書房))