日記

とみいえひろこ/日記

短歌

別の話

別の話 紫のダウンジャケットぶかぶかのゼリーみたいな子が泣いている オレンジの布いちまいを透けてゆき物語る者はいつも内側 あの空の重たい色がたまらなく色っぽいこと指さして言う ぼんやりと思い出す昼 幸福で愛するだけの手であったこと 東寺駅にずっ…

両腕

除光液の苦い香が解き放たれて明日から寒いと聞いたとおりだ 崩されるほうでも崩すほうでもいいオレンジの窓に閉じ込められて どこまでも引くことの出来る引き算の蜜柑ジャム煮詰めるほど光る 両腕を後ろにまわし待ち受ける清濁を併せのむつもり 燃える部屋…

今日

ふと今日がお別れの日でいいような光と煙うつくしい午後 今日のこと今日終えられることなくてぼんやりしゃがむ小瓶みたいに 打ち明けて良かったことは何もない逆立ちに思うことひとつきり 貧しくもつややかなテーブルクロス泣きながら食べるひとを照らせる …

2024.03.05

深く重く汝の聞こえをり現実の対岸よりの声は柔媚に 汝・な 悲哀から時間が生れるすこししてすこしづつだが花が咲きゆく 生・あ 岡井隆『臓器(オルガン)』 苦手だったけれど突然大好きになって(苦手だったいくつかのところを、突然「ゆるせた」感じだと思…

藤本玲未『オーロラのお針子』

雪原に無音がにじむほんとうはさみしかったの片腕なくて ほんとうは、ではじまることは愚痴にしかならないからさ手紙燃やすね 「ほんとうは」という言葉ほど、ほんとうは信用できないものはないはず。それでもたぶん、「ほんとうは」と告げた口から引き出さ…

野田かおり『風を待つ日の』

歌集の構成として、「季節」というルールのなかをひとめぐりして、春から春へかえってくるつくりが意識されている。と話されていた。 なら、かえってきた春、とりあえずたどりついたもうひとつの春は、決められたルール、与えられた枠組みを、少し超えたとこ…

佐藤りえ「約束/秘密」(『チメイタンカ』より)

凡兆の秘密の庭に降り積もる払っても払っても消え残る雪 木の椅子と木のテーブルと木の窓の秘密の小部屋が心にはある その椅子は片付けないで 置いておいて 誰が座っているかは秘密 佐藤りえ「約束/秘密」(編集・発行/花笠海月『チメイタンカ』) 現実を…

calling

calling だんだんひどくなってゆき横顔ばかりが今日うつくしい ああ、という声が漏れ出ているようなカイトが白くながくただよう (「かばん」2024年1月号より)

2024.01.22

ひとつ進んで、いつものこと。分かっていたのに分かっていないこと、見えていないことにしていることは案外かなり、ぜんぜん、まだまだ、多いはずだと思った。慎重に、たのしみながら、周りにいてわたしがわたしのためにできることをひとつひとつ隙間を縫っ…

苑翠子『ラワンデルの部屋』

ある気分をもったまま、または、ある気分のなかで読み始める。たとえば、どこまでいってもたぶん、生きることは虚しいことだな、という気分をつくづくもちはじめながら読むときに無防備にひらく心の窓があるのだろうか、すうっと入ってきてすうっと通り過ぎ…

米口實『流亡の神』

死は絶対不在ではなく不在形式の存在だと、亡き者は「宿るという方法で存在」すると言えます。 高秉權 影本剛/訳『黙々――聞かれなかった声とともに歩く哲学』 「死」の意味するところはとても広く深く、たとえば、絶対に手に入らないものを含むだろう、戻ら…

牛隆佑『鳥の跡、洞の音』

五千年前から疲れているような夕暮れで それから そうだな 煙が上がる 土用東風すごくすずしいのに話したいだれかがどうしてもいないんだ 手になってしまえば殴るしかなくて手になる前のもので触れたい 「触れたい」と書くことすらも、作者にとっては「意味…

野田かおり『風を待つ日の』

誰を忘れてしまふのだらう足元へさざ波寄せてまた去りゆけば 誰を忘れてしまうか、分からない。分からないけれど、ぜったいにこの先、私が誰かを忘れてしまうことだけは知っている。私が必ずあなたを忘れてしまうことには、変わりない。今まで私が多くのもの…

王紅花『星か雲か』

その時の気分にすぎず 流れ来しかなぶんを溝川より掬ひて放つ バルコニーの手摺に鳩がうづくまりをり 夕闇がせまりをり 追はれては覚め、追はれては覚め、を繰り返す 寝るまへにコーヒーを飲みしに なにごとも、自分が泳いでいるその箱、自分が因っているそ…

違う

むしょうに、とひらがなで書く思い方呼び出す むしょうに出て行きたいと 小説の好きなところはどの顔も書かれていながら見えないところ わたくしの空虚を押し広げるために浴室に読むものは濡れたり そのひとの晩秋おもう残されてざらついた布のようなさびし…

雨宮雅子『雲の午後』

ここにあるものだけ、ここに確かにあるものだけ、よく見て釘を打つようにして。見えるもの、在るものだけを書くことで、書かないことをする。黙ることをする。歌のなかで、歌の時間を過ごすなかで、自分を歌の時間に放り込もうとし費やすなかで、そう決めて…

二三川練『惑星ジンタ』

ありふれた哀しみだから話せない 晩夏に閉ざす遮光カーテン めがさめてあなたのいない浴室にあなたがあらう音がしている 寝たふりをしたまま見えた夢の空をしずかに満たす水銀の雨 人さし指を汚して描く落書きのような約束 青色の雛 運命と片づけられるそれ…

2023.11.07

2016年に「かばん」誌に提出した文章。 みつめ・られる(あう)・たんかとみいえひろこ 大阪は震度四だったみたいですが、地震怖かったです。会社の帰りに見たいつもの川が、異様にきれいに見えました。まだ自分の感覚がすこしふわふわして、パラレルワール…

永井陽子『てまり唄』

こころねを語らむとする辺にありてあやしき賤の夕顔の花 すりへらしすりへらしゆく神経の線香花火ほどのあかるさ 丸薬がころがりゆける床下に水色の尾のごときもの見ゆ 冬瓜が次第に透明になりゆくを見てをれば次第に死にたくなりぬ 明るいところを見るんだ…

『富田豊子歌集』

もみ殻は堆のごとくに積まれゐて誰か小さき火をつけに来る 晩秋の風に吹かれて永遠にあゆみ去ることありや人にも 転がれるパッションフルーツの傷口が濃くなりゆく昨日より今日 しづかなる夜更けの道を犬の啼く声をまねびて男が過ぎる 朽ち果つるものの一つ…

澄田広枝『ゆふさり』

明るさのなかへひとつをおいてきた朽ちるまで香りつづける檸檬 遠景として決壊を見るゆふべあたたかきもの口にはこびて 秋の陽がこんなに長くとどくから洞の深さに気づいてしまふ 「ひとはどう思ふだらうか」空蟬を土にかへして ひととはだれだ 耳朶にくらい…

海のある場所

海のある場所 ジェノグラムつくづく眺め広がってしまった海を逃れられなく 扇風機の風吹くだけの淡い部屋取り返しのつくものごとばかり 階段を上るとき誰もがひとり膨らむごとに月も皺んで 階段を下りるとき道連れといてきみを思えばほんとうにひとり 火をう…

「柊と南天」5号から

似ていると思う話を挙げてみて水面は空を映し続ける 野良猫に出会った通り老猫は誰に飼われることなく生きる 竹内亮/似ている話 十首中、まんなかにある「水面は空を映し続ける」歌。ここから裏返って「空が水面に見られていることを知っていく時間」が流れ…

訳のいくつか

それとは別にこの作品の美術的なイメージのすべては一枚の衣裳から発生した。それは主演の一人のレスリー・チャンが劇中で着ていたモヘア織りの黄色いストライプの毛がふさふさとしたセーターだった。私はこのセーターから受けるイメージをどうにかして表現…

「半券」005号

「半券」005号 忘れられることはあなたの権利なりインゲンの種しまわれていて竹内亮/さよならの旋律 夏至のようなおしゃべりをしたスミノフの濁りの底へたどり着くまで山本夏子/虹の材料 窓の向こうあれからずっと揺れていた古い葉のことも友人のことも窓…

母の眺める窓を

ネクタリン皮ごと切って薄闇のテーブルで食む移動の朝だ 私のこと忘れてほしい、思いっきり。母の眺める窓を見ていた 無意識の嘘をつくこと夕暮れは一人で崖を見下ろしている 緩慢な復讐として冬空は漆黒の穴を広げてゆくか 消息をふっつりこのまま絶てそう…

またひとり

なんとはかない体だろうか蜘蛛の手に抱かれればみな水とつぶやく またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ ほおずきを口にふくんで彼女の子ばかりがいつもここにきている 泣いたっていいんだよって泣いていた義弟があの橋渡り来る (義弟…

喉白く

喉白く五月のさより食みゐるはわれをこの世に送りし器 月光の階昇りゆく魚にして瓦斯の火持てる母の照らせる あかときを音高まれる時計にて父母なきものはいのちするどし 『びあんか』水原紫苑(深夜叢書社) 必要があって、もらった時間内でバロック様式の…

信用できるものは怖いもの

冷えた風持ち込んで去ってゆくだけの端役の男の声低くして 窓になる心で声をきいていた途切れたり呻いたり人はする もうここでやめたい鼠渡れずに渡ろうと思わなければよかった すみれ色の長いスカート風を知る嘘をついたら報いを受ける 全部つじつまが合っ…

ああとふ声が

のどに指いれればふれるばかりにてああとふ声がかたまりをなす 今日は、古い時代の外国の短編集を少し読んだ。集められたものを読んだら、ああ、この時代はゆううつを手がかりに、足がかりに、ものを見つめるということをさぐっていたんだ、と分かる気がした…