日記

とみいえひろこ/日記

2023.05.01

・きのうは2つ、配信で映画を観た。流し見でも、ずーんと残る。

 

・時間のかかっていたこと、とても良い反応をいただいた。資料集めておいてよかったなあと思う。初めての試みもあり、嬉しい。旅の資料、魔女の資料、二色印刷の資料。

ほかのことも、いつものようにいろいろ重なってぜんぜん進まない。

 

・「私というパズル」(監督/コーネル・ムンドルッツォ)。冷蔵庫は白い箱、エレベーターは透明。過去と未来。こちらとそちら。一度だけ、託された私だけが嗅いだ、林檎の香り。誤りがあった、そのために内面に刻まれるもののつよさ。名前の外にも誤りがあり、だから、名前のなかにも林檎があった。冷蔵庫の外側に貼っていたものを剥がす、内側に容れるものを選び直す。残された香りにつながりながら思う、じっとする。じっと冬があり、じっとする、その待ち方によってつながりの向こうにある種をふと集める時を生む。集めた種を適切に扱おうとして託すことが喪の作業だった。作業をするなかで、意味が変わっていく。

 

・「台北暮色」(監督/ホアン・シー)。私が気になったのはあの子、あの子の見ている世界や、向かっている世界、棲んでいる世界がどんなふうだろうということ。あの子と母親の時間の流れ方は少し独特で、ほどよく放って置かれていて、よかったと思った。

共有しないといけない(と私が理解する)前提があって、それをもとに本人の外側のさまざまなことを曝して奪い、もっと外側に共有することにくたくたに疲れている。もはやもうそのさまざまなことは本人と何の関係もなく、本人の内面を私なりに思ったり触れたりすることのないうちに時間が過ぎてしまっているのではないか、とふと思う。本人が本人としてどう生きていくのか、本人の内面的なことを、外から何にもならないことを前提にじっくり私がたったひとりで深めて思う時間ってとれているんだろうか。それぞれの登場人物に託されたそれぞれの困りごとと選択(というか行き着くしかなかったところ)が外にひらかれ、複雑な傷をたくさんつけて呼吸をするときの温度や湿度、暮色と混ざり合ってとても美しかった。

全部説明する必要はなく、全部折り合いをつけてどうにかする必要はなく、〈何にも曝さず、折り合いなどつくものかと怒って抱え守っておく必要があるもの〉にかける時間について。