日記

とみいえひろこ/日記

2024.05.02

ジャーメイン・グリア 寺沢恵美子 山本博子/訳『更年期の真実』という本を読んでいる。ほんとにおもしろくて、同時に、やっと、今という時間に今を、遅れずに早まらずにつかまえることができるようになってきているようにも思う。

私はとくに産後5年ほどがひどく、そのほかほとんどすべてずっとひどかったと思う。当時もうすうすわかっていたけれど(わかっていながらそういうことにするとやっていけない状況があると思っていた。けれど実際は、いつも、案外、手がある、はずではあるのだと思う)、わりと大きな割合で、「ホルモンバランスの乱れ」として括られるもののなかにいるわたしと目の前のものごと、そしてそれらを包む基盤や仕組みのようなもののなかで起こること、起こして見てみたかったこと(自分がどこにいて何者か、それが信用できるものなのか、わたしはそれを信用することにするのか、といったこと)がわたしにとってはそういうことだった、ということでいいと思う。確かめたい、確認したい、という思いがつよかったと思うけれど、確認しても確認しても終わりがない。

ものの見方、付き合い方を分かっていなかったから/いないから、すべて無駄な確認作業だったし、遊んでいるだけだった。「確かめたい、確認したい」というのはただそのときのわたしの言語化のひとつがそうだっただけで、そこから意味を掘っていくのはほとんど意味がない。言語化された/されずにいるそれはわたしにとって何か、というのをつくっていく経験、つくっていく遊びのほうが、意味がある。今はそちらに寄った頭でものごとをみる。

最悪のことはほんとうに避けたいので、真面目に、できるだけ、自分のうちそとで何が起こっているのかよく見たいと思う。当時もなんとかしようとしていたし、見ようとしていたのは確かで、でも今という時間にずっとのれずじまいだった。が、それはそれで、そうだったんだな、と思う。ベストを尽くしてこれだったから、これで仕方がない。そして、これが最後だと思うから、今回こそ、何かをなんとかしたいとつよく思っていると思う。が、つよく思うことでまた同じことになるのでは駄目で……

 

私は手放してはならず、その絵の終りを見失い、これまで苦痛に耐えて凝視してきた全体像の意味を見失ってはならないのだ、私はここで持ちこたえねばならない、さもないとその絵はかすんでしまいこの連鎖は失われるだろう。

ヒルダ ドゥリトル『フロイトにささぐ』から/ジャーメイン・グリア 寺沢恵美子 山本博子/訳『更年期の真実』)

 

 

石川憲彦 高岡健『心の病いはこうしてつくられる 児童青年精神医学の深渕から』など。

何も進まないという印象がずっとあるし、こまごまとしたひとつひとつのことがなんとかほんとうに少しずつ進んでいる、雑然としながら。