日記

とみいえひろこ/日記

2023.06.25

「もう一つの人生は、わたしにとってなんの意味もなかった。本当に何も」

 

彼女は彼にとって病のようなもの、狂気、理想の夢だった。別の人生だった。

 

そう、このふたりはここで噛み合ったんだ、と分かる。何の意味もない何か、なんでもいいから別のやりかたが、何にもならない生き方が、何にも応じなくていい時間が、どうしても必要だったという点でふたりは交わった。交わることは食い合うこと、傷つけあうこと。

分かる、と思う私はアデルの内面から引き剥がされ、アデルのことを何も分からなくなる、見えなくなる。アデルは内面に棲むものだから。分かったものから助かってゆき、助かったものは消費し押し付けたことでそこを免れた自分に気づく。ただし、それも分かっていたけど。分かっていたから、分かることができたんだ。残されて、どうやっても救われないものが内面にもっと重たく居残り、要求する。わたしを理解し抱えて苦しむ力があるというのなら、こちらの望むやりかたで分かれ、こちらの望むやりかたで抱えろ。応答のぜんぶをわたしに要求するな、ここから出して、黙らせろ、消えさせろ、と要求する。いちばん苦しんでいるのは応答しつづけてぼろぼろに擦り切れている傷、口の裂けた。

 

 

レイラ・スリマニ 松本百合子/訳『アデル 人喰い鬼の庭で』(集英社文庫