今朝もコーヒー。数秒一緒に。自分の抱えられる容量としなければならないことのすり合わせ。「しなければならないこと」に私は私だけのいくつかの別の意味を込めている。
やっと、自分のことばかりやってきたのが、それは方法だったけれど、もう、遠すぎて自分の思っていることが信用できなかったけれど、出会ったり同期したり影響しあうところまで、近づいてきたかもしれないと思う。そのひとがそのひとの理由で見通しを立てている言葉を聞いて。これは私だけが私の理由で嬉しい、心から安心することだと思う。
半日ずつ自分の思っているより遅れつづけていて、ギリギリ出す。一日置くと、ここで少し目的がお互いずれたかもと思う。ほんとは、もう1日2日置けるようなやりかたでいきたい。
日本出身者はエスニックな空間をどのように「自分のもの」としていくのか。韓国人はソウルに出現したエスニックな空間を単なる自分化と異なる空間としてではなく、どのようにまるで「自分が帰属しているような場所」として捉えていくのかを見ているところです
(今里基 韓国ソウルの「日本出身者」の生活する空間)
立命館大学生存学研究所/監修『知と実践のブリコラージュ 生存をめぐる研究の現場』(晃洋書房)、井坂洋子の詩集、など。石岡瑛子、小池一子、など、など、モノ、ヒトの熱の頃。そのあとコトが来る。コトに足が着く、とされるまでの、なんかバチバチしたもの。