日記

とみいえひろこ/日記

2023.09.14

人と、「君たちはどう生きるか」(宮崎駿/監督・脚本)を観に行った。全然分からなかったけれど、ずっと風が吹いていて、その風がとても繊細に描き分けられていた感じが心に残った。それから塔のことと、落ちる感覚が怖かったこと。人ひとりの体がひとつの塔そのもので、穴だらけの体を通ってゆく風、体のめぐりに吹く風。塔のなかにぜんぶの時間が、生命体の記憶が入っていることを思い起こさせる感じ。自分のなかに肉親が、肉親の肉親が棲んでいて、私だけの〈今〉があること、〈今〉が彼ら彼女らの生き方や意味を変えていくこと、など、などを感じたり思わされた。声や息は風によって吐き出されること、媒介であること、ものごとが動くには風が必要であること。良くも悪くも。まひとくんの体がバベルの塔の絵の構図に見えたシーンがあったり、イザナギイザナミの象徴的なシーンを思わせるところがあったりした。産まれる前の時間を風が吹いていて、白い紙の飾りがぐるぐる回るシーン。

いつも、今、今いる目に見える人たちと目に見えるこの空間で同じことをしている、思っている、感じている、そのなかにいる、という感覚が苦しくて苦しくてたまらない。これは、どこにいてもそうなんだと思う。どこにいても居づらく、細く細くつま先立ちになってゆく心地だったり、飛ばしたり、液体になったり、その場しのぎの留まり方をが編み出される。けれど、自我もまたひとつのアイテムで、自分の肉体がひとつの塔であることを思い出すと、〈今〉が苦しいものだというだけの意味から、広がったり深まったりしてゆく、別の意味があるのではという想像が生まれる。

 

『赦すこと』ほか。