野の花は時間に移ろい身を了う、ぼくは夕暮れを喪くしている
(時間=とき)
こんなにも喉が渇いているというのにぼくはまた水をこぼして
マフラーをくれた女を思い出す今年の冬はたれも憎まず
(女=ひと)
忘れたきことしかなきか痛みとは引き合う力の隠喩としても
(詞書)マンションの裏山に一匹の狐が生きている
やせ細る狐は今日も雨のなかいつもより早く梅雨に入りたり
(詞書)依存症のころ
こう呼ぼう「ホモ・パティエンス」依存症にも意味があると精神科医は
「あなたにここにいてほしい」莫しさだけを手掛かりとして
(莫=さび)
少し老いいつかどこかですれ違った人ばかりいる肌寒きカフェ
はにかみはきみの思想か夕暮れを差し出すように言葉を鎮め
燃えながら落ちてくるのよ諦めの目をした幾羽もの鴉たち
窪田政男『Sad Song』を読む会、mixiのはしるさんや蜜柑さんが準備してくださり、行ってきた。
十首選っておもしろいなと思った。送った時の私はこれがいいと思って送った。そのたびに変わるから選ぶのが苦しいなという感覚もあるけれど(はっきりさせたい気持ちがあるから)、締め切りや選ということには意味があるとつよく思うときもある。
その時に選んだ理由だったであろうことを持つ自分をどこかで想像しながら、それはそれで置いておいて話した。選んだときの自分が思っていたことは忘れてしまった。「V たれも憎まず」の章、書かれないまま刻み込まれている私的な気配に惹かれていると思う。
持ち帰った、ほかの方の十首選をあとでゆっくり読んで味わいたい。
・「のよ」「なの」、女言葉は「ぼく」の中の女性性。
・「ぼく」という日常語で人称を統一して一冊を編んでみた。「ぼく」で通す過程で出てくる言えなさや軋みがあるのがわかった。
・理詰め、理屈という感情もあるのではないか。
など、など。
窪田さんや、もう会えないのではとも思っていたツトムさんはたぶん私の父よりひとつ下の世代の方で、娘の私がよく知っている、娘の私が憎み見つめてきたであろうあの独特の「におい」を投影して見てしまう。理屈という感情、感情という理屈、そのひと独特のインテリジェンスへの信頼、愛憎、愛着への憧れ、悔しみみたいなもの。だから、簡単に扱っては、近づきすぎてはあかんのだ。