日記

とみいえひろこ/日記

2021.10.22

すこし休んで、いつまで休むのだろうと思いながら、映画を見ている。伝えなければと気になり続けていたことを、もう遅いけれどいくつかの階段を下りてかんたんに伝えた。帰りに床をすこしだけ拭き、気になりつづけていたごみを拾う。まだ残っている。

 

ローリー・ムーア 干刈あがた斎藤英治 訳『セルフ・ヘルプ』。

こんな小説があるんだと思う、おもしろいなあと思いながら途切れ途切れに走り読みをしていた。1989年の小説で、不思議な小説だと思う。不思議で率直で奇妙で、私的で切実な小説。

誰でもが抱えてしまっているような、どこにでもあるような、ささいな話。忘れてしまいたいような、つまらない話。小石のように心のなかにあるから、いつも誰もがそこでつまずいてしまうのだ。自分で置いた石に、自分で。

どうしても和解しなければ先に進めない何かがあるとき、それが表面にあらわれていないとき、自分の体のなかが戦いの場所になっているときの、見えない血、見えない痛み、見えない罪…と言えばやっぱり大げさになってしまう。

どうしても和解してみたい、自分がわかっていると思っていたものではない自分を見てみたい、自分ではないものになってみたい、役割を置いておいてみたいという、〈ごく私的な、どうでもいい〉目的たちのための方法と失敗、すじみち、理屈、感情。滑稽で、頑固で、切実な。

どのように、このようにしなさい、思い出しなさい、よくある話の結末はこういうもので、このようにものごとは流れ、終わりにはあなたはこう思うだろう。命令形で、あるいはハウツーもののように、ある実用的な形式を借りて書かれる方法たち、目的たちは、あくまで私的なもの、独特のもの。そのときの彼女が切り抜けるためだけの方法で、万人の役に立たないもの。ときに周りを不幸にし、迷惑をかけ、どうにかみじめに生き残るための方法というだけだから、読み終えたものは、これを手にとり読んだ自分の動機や方法や、戦いが流れている場に結局戻ってこなければならない。どんな方法でもいい、どんな方法でもいいから、と思いはじめている自分に出会う。