来ないなら行けばいいのだ行けるならよかったのだが 朽ち果てた駅
歌が体だとして、「行けるならよかったのだが」としてここ(「来ないなら行けばいいのだ」と呟いている場所)にとどまっているというよりは、「行けるなら」と、思いを内側とも外側ともいえないどこかの方向に湾曲させ、「よかったのだが」で「来ないなら」あたりの場所に戻ってくるような印象があって、不思議。どこにも行っていないのだけど遥かどこかを旅して帰ってきたような。「朽ち果てた駅」がその受け入れ口でありわたしである。そういう思いの旅のさせ方、引き受け方。
お風呂で何度か読んだので、遊び紙の紅い色が歌集のなかに飛び散っていて、この歌集にとても似合う。読み直したら、こんなにふわわんと、朗らかさを湛えたような歌集だったっけ、と思った。軋んで痛い、そういう印象だった。
博物画 産毛のような描線でわたしも感情を描きたい
粘ついてくるファルセット越境のためにはもっと筋肉が要る
全身に父の血母の血鳴り響くわたしはとてもいびつな楽器
みずを湛えた体、みずには意味がない。湛えたみずに溺れかけながら体が感じるのは空っぽや渇き。体のうちそとの、空っぽや渇き。感覚、感情が生まれて動く以前に、体が触れつづけつなぎとめられていた草木のざわめき、羽のはばたき、花の戦ぎ、すね毛のゆらめき。つなぎとめられていたもの、つながってしまって切りようがないそれらを体が意思をもって思い出すとき、内側のみずが軋んで、揺れて、響いて、ユニークで豊かなファルセットが悲喜こもごもそのものを奏でる。傷をつけること/られること、掻き混ぜられて樹の皮のにおい。
腫れているような味だな真夜中のコンビニに残っていた生ハム
遠雷と呼べばそうなる 父親を心のどこに住まわせようか
樹にも何かを傷つけてきた記憶 樹皮がこんなにひび割れていて
髪を乾かしつつ本をひらく母 時は銀糸のように波打つ
草原にひとつの穴が空いているような猫の眼 風の真昼に
口の中で貝を貝殻から外す みずうみになまぬるい夕暮れ
もう二度と だけどあなたを受け入れてしまう更地が確かにあって
糸くずのような枝々垂れ下がり「会いたくない」と思われている
切れかけの青い街灯 泣けそうで泣けない人の瞼のような
田村穂隆『湖とファルセット』(現代短歌社)
湖=うみ