日記

とみいえひろこ/日記

2021.01.09

引き金はいつでも引かれる、何か抑えてごまかしているとその分弾が放たれてしまったときにもうぶちこわしになってしまう。せっかくつみあげてきたのに。

それを避けるには自分がほんとうに心からそのように思っていなければ無理。どうにかそうなれるようにと思ってきた節があるけれど、でも、この関係性において自分がそんな状態になるのは一生無理なのでは。自分が今何を抑え何がよく見えないでいるのかを気にしておくことはできる。

何を読んでもそれは自分が読むのだから自分を読むことでしかないのかと思い当たり、くらっとする。

 

これは終わらないのじゃないか、、もっとたぶん良いやり方があるはずだと思いつつ、今日は遅くまでいけそうと思いつつ、細かなパスをさわる。

 

ヴィータ 遺棄された者たちの生』(ジョアオ・ビール 著/トルベン・エスケロゥ 写真/桑島薫 水野由美子 訳 みすず書房)というものすごく愛おしい、抱きしめたい本を読んだ。

長い長い、長い前書きを読まないと辿りつくことのできないひとりの詩。辿りついたとして、なお辿りつけず腕を伸ばす。経験と言葉が裏返されてそこに生々しくあるということは分かるのに。前書きを読むうちに腕の伸ばし方を少しは学んでいる。伸ばす腕のかげりに、さまざまな問題をこちらが抱えていることを知る。そこにある言葉が自分の位置から引き伸ばされることでこちらのほうが生き延びる、受け容れられようとする感じ、があってしまう。