日記

とみいえひろこ/日記

2021.01.27

納得はいっていないけれどなにかしら周りから進めるほうがものごとが良くはたらく気がする感覚と、そのもっと前の段階で納得がいっていなくてどうにも目をそむけてしまうしそのほうがいい感覚と。そのときに発生する「納得がいく」「納得がいかない」自分を、信用していいのか迷う、その、迷う主体のような存在と。

「納得はいっていないけれどなにかしら周りから進めるほうがものごとが良くはたらく」ような気がする状態までなぜか来たことがひとつ。でもその感覚もなんかいい加減で信用できない。

何かひとつの言葉で括れば「金」をどう確保して(誰が?)動けるような状況にしていくかということばかりに関わりすぎて、というより、そこまで辿りつくための、何かに頼るまでの、よくわからない雑用、手続きに関わりすぎて、もうだめという感じだった、数日、またはずっと。

時間のかかること、やってみたいこと、わからないことをやろうとすればこのように別の金のことがまた邪魔してくる、このまま目の前のやりとりと説明と何かを何とかしようとすることで一生の役割を果たすんだろうか、それで大丈夫なんだろうか。どこまでやればOKなんだろうか、まったく見当違いのところにどんどん外れているのではないか、というアメーバのような不安や心配は、自分がもう更年期に入るんだな、そのうち死ぬんだな、という「枠」の手応えが具体的に感じられるところまで来たところでやるべきことが絞られ、なにか、よくわからないけれど違う感覚のものになった。手に触れられるようになったのか、遠くなったのか、もっと別のいきものとして「存在」になったのか。

法律や制度、しくみは大きな助けだし、そのもの自身が蓄えている力がそれぞればりばりはみ出したりうごいたりしているように思う。ので、わたしには想像のつかないやりかたでなんとでもなるようにも思うし、先に何があるか分からない、し、自分は淡々とこのように続けていけばいいんだと思う。それを何度も螺旋状に思う。

自分ばかりが目に見えることのつじつまをあわせている、というのでは、ない。というところを、よく見てわかっていないとこれからきついと思う。