日記

とみいえひろこ/日記

2021.05.01

数分にまとめられた短い映像、でも、きちんとおさえるべきところをおさえてよく取材され、その上でセオリーをもって見やすいようにぎゅっと圧縮した密度の濃い映像。誠実に、善意をもって、ありのままを届けようという使命感でもって編集された映像。

で、あったとしても。ああ、事実はぜんぜんそこにないんだな、ということを実感した。ひとの認識とはほんとうにひとりひとりまったく違うのだ、ほんとうに。まとめられた対象であるそのひとは嬉しかっただろうな。そして、きっと、そのひとを満足させるために制作された映像ではないこともよく分かる。制作にこころざしがあることも、コンセプトがあることも。

そのひと、とされるひとの、そのひとの、そばにいたあのひとの目を通した事実はこれとまったく違う。そのことをわたしはたぶん、よく知っている。あのひとよりも知っている。

わたしが内面化したあのひとの目を通した事実を、よく知っている。ということ。

わたし自身はそこにぜんぜんいない。ずっといない。あの空間に漏れつづけていた水を、わたしばかりが盗みつづけているように感じていたわたしはいる。見えないという見え方で。なんだ、いなくてよかったではないか。なぜわたしがそこにいなくてはいけないと思い込んでいたんだろう。あのひとのこと、放っておいてあげればよかった。