日記

とみいえひろこ/日記

2021.08.30

人のやりとりがあると、その前後数時間、数十分はざわざわしてなかなか手をつけるべきことに戻れない。

中村祐子『マザリング 現代の母なる場所』(集英社)。この本を読んでいたせいもある。このときに、このひとが、このときに抱えていたことを、このくらい、このくらい…と調整しながら開かれに出会わせに自分に揺さぶりをかけにゆく、そうやって書き留めた記録。割り当てられ与えられ目に見える「母性」の「」を外したり書き直したりし、記号にはりついている感覚や感情、情況を丁寧に分けてゆき、触れにゆき、ときほぐし、編み直し、〇〇性と出会いにゆくことをしている。

夏のほんとうに終わりに来て、麦茶が好きになった。麦茶とらっきょう。秋が来ている感じはわたしは肌や鼻水、目の痒さでわかる。春はたまねぎとわかめが食べたくなる。何ヶ月かぶりにごはんを炊いた。10年、20年、しようと思いつづけてできなかったことをした。これくらいの時間と余裕がほんとうにとれなかったのかとも思うけれど、たしかにこういうふうにさまざまな条件が組み合わさったときにふっとできるものなのかとも思う。