日記

とみいえひろこ/日記

2022.06.02

映画「さがす」(監督・脚本/片山慎三)。アマプラで。

助かりたい人と助けたい人がいて、互いの弱いところが過剰にくっつき合ったり食い合おうとすることで、浅はかな、無惨な救済につながってゆく話。「現実」に応じようとして全員で「現実」の餌食になってしまう話。

あとほんの、ほんの少し。たとえばあのときにほんの少しだけ、ほんの1秒、もう少し立ち止まって、向かい合うあなたの沈黙を聴く時間をとれていたら。違う展開が生まれていたかもしれない。と思った。でもそれが、できなかったし仕方なかった。

いくつかの「事件」を、いくつもの「現実」やいくつもの「出来事」を、映画的な視点や文脈を、あまりにあからさまに、すごい雑に、切り貼りしてみせているので笑ってしまうこともあった。自分が気づいていない元ネタもきっとたくさんあったはず。デフォルメもたくさんあった。

今自分がたまたま置かれて浴びている「現実」は、「現実」は、「現実」自体はただの空洞で、外に現れ出た「現実」などというのは、ほんとうにただの比喩なんだな。「現実」は比喩ではないほうの、ほんとうの体や心に、実際の現実に、どこかでどうにかしてつながってはいるのだろうけれど、そっちのほう、比喩でないほうをわたし(たち)は嘘みたいに見失ってしまう。「現実」ばかりにとらわれてしまう。とらわれざるを得ない。

たぶん「現実」だとこうはならない。今自分が映画を観ていることだけは確かなんだ。この確かさがあとになってどんどん体に沈み込んでくる。映画が終わって、ものすごく聴きたくなった曲があった。