日記

とみいえひろこ/日記

2021.09.05

ひら と着せかける浴衣のうしろより蟬鳴き出づる 囘復はあれ

佐竹彌生『天の螢』

 

 

回復は、名前や言葉や場所、時間を逃れることのできる力のようなものと思う。力を逃れることのできる何か、意味を逃れることのできる何か。

着せかけるときに着せかける誰かをふと思ってしまうわたしの思いは押し付けでもあり、思ってしまう自分にかえってくる自分の重たさでもあって、それは嫌というほどわかってもいて、と引きずる何か、状況の変われなさ、動けなさがある。

自分の手でもって、「ひら と」、「着せかける」という介入をするとき、「うしろ」という場所を、わたしの「うしろ」として生々しく感じていると思う。何かとらえようのないものを自分ごとにして感じている状態になっていると思う。

ふっと、意味にまみれた世界を断ち切った世界に棲む蟬の声が出てくる。何処からともなく何処かというすきまの場所が生まれる。押し出されて出てくる「囘復はあれ」は、すっと身を任せることを決めたような、自らを超えていくことで自らになることが約束されたような、わたしのことばながらわたしの別のところから出てきたことばだというしるしとして刻まれた文字のように思える。

「ひら」という動き方があって、手がそこに追いつき、ことばが生み出されたような、胎動のような歌。手を離れていくことばの疼きみたいな感触の歌。

 

犬の目、または犬の地図、犬のレイヤーらしきものが自分の目のなかにあること。自分がやったこと、されたのではないかと感じること、それらの記憶はほんとうにまったく脚色まみれになりながら今につながっているんだな、自分がやったことを覚えておくことはかなり難しいのではないか、ということ。物理的な距離を相手のそれに合わせることを意識してみたらいいのではと思ったこと。それらと、ほかのいろいろなことがざわざわしながら、お風呂掃除のあとそのままお風呂で読んでいた。

 

手づかみでどこかから汲み上げてきたような「囘復」が内部に入ってくるようで生々しく、折り目をつけた。