日記

とみいえひろこ/日記

2021.09.27

ある程度(かなり)外枠から決めてかかって関わらないとわけがわからなさすぎてやっていけない、こどものときは。そのつもりでここまで来たものの、外枠はあくまで仮組みの枠だということを忘れがちで、とうにもう組み替えてかまわなかったし、そろそろ外していったほうが良いのでは、もうわたしは大人だ。ということに気づき、しばらくはっとしたまま対象の前で動けなくなる、ということが重なっている。動けなくなるのはむしろ良いことで、ぱっと判断できない遅さにわたしの場合は助けられていることが多い。自覚しているよりかなり。対象の存在感や、対象が抱えてきた時間を感じて圧倒され、はっとしている。

自分がまもっていたい距離感や理由と、対象そのものの価値や意図はべつもの。自分の関わり方を、対象の持ちものだと思わないほうがいい。自分のものだとも思わないでいい。

答えも問い自体も決めずに話していて、気にかかることのかけらが出てきた、そのまま伝えた。案外そのかけらのほうが今は鍵を握っているのかもしれないと、だんだん思い始める。そちらのほうが理屈に合っているし納得がいく。今はそちらの枠をつけて対応したほうがいいのでは。

それはそれとして、いつももう遅いことだけれど、過ぎてしまったことでそのときに間違った向き合い方をしていたことに、あとになって良い向き合い方ができるようになること自体には、自分のためという意味で、意味はあるから良いことなんだと思う。

自分の睡眠と休息のリズムにできるだけ抵抗しないと決めた。おとついが異様に眠くて、最近は眠る前にこの眠りでこのことを決めようと思って眠ることが多い。そうやってだんだん魔法のように決まっていく。