日記

とみいえひろこ/日記

2022.06.02

ひとつのことに違和感があって、ほそぼそとずっとそのひとつのことを考えようとしていると、違和感のでこぼこをたどって、いつのまにか反対側にたどりついてしまっている。わからなさはずっとあるのに、もうこんなところまで来てしまって、戻れない。

このくらいの時間になるとぼろぼろと注意力そのほかいろいろなものが剥がれていき、身体が裏返り、思うこと、考えること、記憶、心のようなものが裸になり外に出てしまっているような感覚になる。

身体のほうが閉じ込められているようで、ずっと過去のことやぜんぜん他人のことのほうが今の自分にとってなまなましく感じられる、まだまだ何も納得いってないよ、と言われて身体をおされる。おしてくる手を受ける身体がない。

さっきまで自分がそれでもがんばってそれなりにできた、送れた、という感覚があったものがまったく信用できなくなる。と思う。それなりに大きな、長い、ひとつのことが終わったあとにくるあの感覚は残る。ずっと続いてきたような感覚でもある。この感覚だけは自分のものだ、とも思ってきたような感覚、懐かしい、離したくない。でもその感覚というか場所は、そんなこともないのかもしれないし、ぜんぜんまだまだ、もっと深いものなのかもしれない。

ふううん、そういうものなんだなー、と、少し先に思う前に思った。うすかわを剥げば、ほんとうにぐらぐらの、と読んだのはきのうの、いつのまにか嫌いになっていた小説家の小説だった。それを読み直していて、思ったことがあった、と思った。

考えてたどっていくとその対象の内側に入ってしまうような、と思ったのは、いつか誰かが別の言い方で言っていたことと同じことなのかも、そのとき理解はできたけれどぜんぜん感覚としてわからなかったことと似ていることなのかも、と思う。それならわかる、わかるともいえる。

それなりに大きな、長い、ひとつのことが終わり、これと似たものはまた来る。わたしはいつものところに戻ってきた、と思う。起こっているあいだに、わたしの頭が別のところで考えていたことがある。と思う。前起こって終わったとき、につながりにいく。

いつかその子が別の言い方で言っていたことは、好きな対象の思い方についての話をしているときに言っていたことだった。わたしがこのままいくとその対象の内側に入ってしまいそうな気がして引き返すのは、その反対で、嫌なこと、苦手な対象、しなければいけない対象を思うとき、あらゆるとき、違和感があるときの思い方すべてについて。