日記

とみいえひろこ/日記

2023.07.19

ひとつ大きなことがほぼOKになって、お返事待ち。今日は何回か動けず昼寝した。犬はわたしの足のほうに来てくれる。私が起きて仕事部屋に戻ったら、犬は床で寝る。

でも、いろいろこなし、いろいろ間に合わず、いつもの感じ。また検査をすることになり、体力をつけておきたく、夕方走った。

こちらのことも、自分のこちらのことも、あまり意識していなかったけれど、毎日細かく目標を自分の現状とすり合わせている、と思う。バランスボールで、ふわっと何もせずにただ一緒にいる時間があった。こういう時間を、少しずつしみこませている。

 

カーソン・マッカラーズ ハーン小路恭子/編訳 西田実/訳『マッカラーズ短篇集』、ほんの少し。ほか。

 

力が入らなくなり、大きな音だった雨が静かになり、扇風機の風。ここまで来ると、もうやめて明日やったほうがいい、そうするのかな、となる。

良い感情も悪い感情もうわっとくるのを浴びるのがかなり負担で、きつかった。すごい簡単なジェノグラムを書いた。聞く役と表す役があって、でも、聞き方にもいろいろある。

 

 

・真実を知ってゆくということは癒されるということに直接つながっていく。
・なくなること、亡くなることは「私」というもの(概念とか名づけとか)がなくなることで、それは、亡くなった人と今生きている私が溶け合うことでもある。
・癒す、癒される、というのは「私」という区切りがなく、全体的で包括的なこと。
亡くなった「元・私」であった、私とは別のあなたは今や私の一部になった。私は「元・私」にも「私」にもあきらかに責任を持ってしまった。責任を持ってしまったのだから、たぶんそれを生かすことは私のすべきことで、全体的によりよい状態にいけるために真実を知っていく必要があるし、その状況を、自分を、「癒す」ことで亡くなった人の今までを肯定し癒す必要がある、と思う。
・「真実」というのはひとつではなく、たくさんのものの見方を知っていくことのなかにある。あるのかもしれない、とふと思う瞬間がある、のかもしれない…という感覚だと、現状思う。
・そして、「私」という区切りがある、というルールのなかで私は生きているから、「責任」という名づけを使ってあなたを私の一部だと理解しなおしたけれど、もともとはあなたと私の間に区切りはなかった。