日記

とみいえひろこ/日記

2022.03.20

ひとくぎり。本人は独特のきわどい道を選び、それは全部肯定され、経験と優しさと知性によって絶妙に連携されまもられ、とても柔軟に、全部の道が歩きやすいようにほんとうに細やかに整えられ耕され、きちんと楽しいかたちができあがった。自分が尊重され託されたという経験や、何かしらの思い出が出来たと思う。

ひとりひとりの方にほんとうに感謝と尊敬しかなく、同時に、この空気感、考えに考えた末に大人数でひとつの経験をしようというときにどうしてもこういうかたちになってしまうこと、参加しないといけないこの息苦しさが、わたしはけっこうきつかった。自分ひとりだったら今すぐ逃げ出したいと思っていた。

これをわたしも形式上通ってきたのだ。いったいどうやって自分はこれをやってきたのだろう? いちばん早いと感じた方法で、ひたすらものごとを見ないように、自分を消すようにしてなんとかこなしてきたのだろう。

自分だけが自分の苦しさをもつこと、それはそうで、苦しいと感じることには特に意味も理由もない。ただ、あてられてしまうし、考え込んでしまうし、しばらく動けなくなる、こういうことが重なるとどんどん怖くなるし卑屈になる。なりがち。これからもこういうことはたくさん続く。時には同時にいくつも重なる。苦しいことにへんにこだわらないこと、こだわるところを間違えないこと、重ね方、のがれ方、ここまでなら参加できるというところを知っていくためにも、できるのならできるところまでやってみることを、ぎりぎりのところを見極めようとしつつ、続けるのを見るのだろう。

おはよう、おやすみ、いってらっしゃい。こういう決まり文句を自分が口にするということを想像することすら、このひとは恥ずかしくて情けなくてたまらないのかもしれないなと思う。これにも特に意味も理由もなくて、これがこのひとの美学でありプライドなんだと思う。これでなんとか自分を保っているのかもしれない。そういう感覚はたしかに当然だと思う。そういう感覚のほうが当然だと思う。という見方も、どちらもある。