日記

とみいえひろこ/日記

キム・ジェンドリ・グムスク 都築寿美枝 李昤京/訳『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』(ころから)

そのひとの語りは、聴く側の都合やさまざまな事情でかんたんに、あっさりと風に吹き飛ばされてしまう。語られることでもっと悪くなるかもしれない。いつそうなってもおかしくない危うさをはらみながら聴かれる。

語られる記憶はそのひと自身の長い時間のなかでかたちやありかたを変えてゆくし、それらがことばで表されるときにあらわれ出るかたちも変わる。言の葉という名を与えられたなにか、境界のあやふやな言葉というもの、それがたしかに誰かに聴きとめられたとして、聴く側はかたちをなしているものしか掴めない。けれどもかたちをなしているものは身体を通過して入ってこない。記憶自体、語り自体に誰もさわることができない。

そのひとの語りのなかにも、ひとから聴いたことば、聴いてしまったことばが、ことばの層が混ざり合っている。

真暗に塗りつぶされたコマがいくつもつづく場所があった。真暗の、語りようのない場所。その場所はどこか。誰の真暗か。真暗の、それは四角い窓になる。表現された窓ごしの真暗が、窓の前にいる誰かをその場所まで立ち返らせる。

絵も声もにおいも、自分に、自分だけに焼きついてしまったと感じているものすら、やっぱりそのままの姿で距離を保ちながら憶えるということは人はできない。ただ、この、真暗の窓をおぼえておくことができる。誰でも。

「当事者」として割り当てられそれを背負うべきとされる者がいて、「そうでない者」がいて、窓にみる真暗が「そうでない者」に身体に入ることでさらに複雑に混ざり合う、その真暗さ。その真暗は、どの暗がりにも通じる、可能性、だけを、はらんで、ひらかれ、とじられている。

 

キム・ジェンドリ・グムスク 都築寿美枝 李昤京/訳『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』(ころから)