日記

とみいえひろこ/日記

2022.03.25

「けれども前にもあなたに云ったと思いますが、私の問題には二つの見方があり、一つは境遇はいかにして私に罪を犯させたか、ということであり、もう一つは、私は境遇においていかにつとめたか、ということです。この後者から責任の問題が出てくるわけです」

鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』(集英社新書

 

障害学とは、「障害」とよばれる社会的・個別的現実や現象、その現実や現象が生じるさまざまな困難や問題から目をそらさない学問です。

松井 彰彦 川島 聡 長瀬 修 編著『障害学を問い直す』(東洋経済新報社

 

読むことは自分を読むこと、なら、今自分が欲しい考え方はこういうことなんだなと思う。

コテンラジオでウクライナとロシアの回が録られていた。作業しながらだから複雑な話がぜんぜん頭に入ってこず、何回も流している。流すうちにうっすら入ってくる。人とコミュニケーションをとるということ、否応なく発生するそれをどう受容するかということ、それらはどういうことなのか考えないといけない(と僕は思った)というような感想を最後に言われていたと思う。ほかにも、それが起こっている場所から距離がある自分、という位置をわかること。など。

遠いということは時間がかかることに手を出せるということ。場所と時間、そのどこに位置をとっているかという点が個人で、起こっていることはすべてわたしに起こっていること、という理解のしかたをしてみたいと思う。ここにいて自分が出来ていること、持っていること、見えていることで、自覚が出来ていないことに目を向ける向け方をさぐることは、自分にとって今大事なのではないかなと思った。場所と時間に応じた適切なこと、というのをいつもさがしていると思う。どこに位置をとるかというのはほぼ選べないものかもしれないけれど、選べる部分はわたしには多くある。

 

たくさん手をふり、お辞儀をして、あっけなくたくさんのお別れ。人と会いすぎてもう限界。4月までもたせるつもりだったけど、細かくこもる時間をとるほうが長持ちする。

 

夕焼けが美しいことは知っている。

橋本治『夜』(集英社

橋本治の文章、とってもきれいだ、なぜこんなきれいなんだと驚いてしまうことがある。これを書くに至った彼の本のうちのひとつを読んだと思う。このことを考えて追いつめたあとにこれを書いたのかと思う。

手に入れた美顔器、ついに出会えた感じのする美顔器だった。