日記

とみいえひろこ/日記

2023.06.17

いろんな賢さがあって、私は畏怖の感情を持つ。たとえば自主性、という能力があれば便利だし人によって身を守る強力な道具になる。人によって。そこじゃない場合もある。枠組みや安全のもつ力のことを考えているしもう少し知りたいと思う。私じゃないもの、私は私じゃないものに常に出遭っていて、わからないものに、わからない価値観のなかにその者が生き延びる/生き延びざるを得ないために獲得してきた聡さをみて、畏怖の感情の芽を自分のなかのどこかに感じながらこの位置で怖い漫画などを読む。

最近は、なぜ自分が本を読むか、映画を観るか、自分の現時点での理由がはっきりしてきたように思う。レイラ・スリマニの小説からジーン・リースの書いたものを思い出す。レヴィナスのことをもう少しちゃんと知りたくその周辺の本。など。惹かれて読んできたもののことをもう少しちゃんと知りたい、自分のやり方でなく、知ろうとするあなたに沿ったやり方で。と思う。

ギリギリで、頭がざわざわして進まないので、洗濯物干してお風呂で何か読んでいっかい寝ようと思う。予備の予備の見通しはあって、明日のものは明日間に合うはず。ぎしぎしきしみながら這うように進んでいる。

 

この位置で、眺めるとなく眺める時間は、生き物としてのこのものがもつ、ざっくりいう「脆弱さ」という能力が何なのかを、そのまま受けとる時間だと思う。非常に賢く、気高い、聡い、敏い、など、など。感じさせる能力。そして、そう言葉にできる自分の、何か上から目線な感じ、卑しさ、といった、「嫌」な感覚をえぐってくる能力だと思う。そしてその能力は、私の側が押し付けているものであって、告発として成り立たない告発の能力。成り立たせないようにする力を押し付けられ奪わせ、見せる能力。相手に決めさせる能力。押し付けられあふれさせるままにしてしまう能力、鏡になる能力。など、など。