日記

とみいえひろこ/日記

2022.09.07

親切なあなたであったと思う時秋の朝顔花のみ残る

川本千栄

 


自分から遠くへ 遠くのもののそばへ

すうーっ と自分から離れてゆくことで、もっとも遠くのもののそばへ近づくことでこそ、なにか、存在の核心に触れていこうとするような感じがあって、その位置のとりかた、繊細な調整、割れそうで割れない、自我を透明に近づけていくような賢さが愛おしいと思った。ここで書かれている「親切なあなた」とは知り合いなどではなくすごく遠い人、一度たまたますれちがったような、もう二度と会うことのないような人なのでは、と思う。「あなた」が知り合いであったとしても、ふっと離れてみることで近づくという位置のとりかたを考える、そのようなときに書かれた「あなた」だと思う。

 

きさめふる

という音が外国語のようにも意味のないまじないの言葉のようにも思える。新しい語感に思える。意味を詰め込み、詰め込まれ過ぎて、飽和してしまったそのあとの音のようにも。

 

 

愛らしい人魚の声を得て魔女はどんな女になりたかったか

 


いびつなる梨にナイフを当てる夜に雨が激しき音立て始む

 


ゴーギャンタヒチの女の丸い乳その安寧が私にはない

 


遠い空に女の顔で鳴く鳥が今夜も私に呼びかけてくる

 


空気より空が冷たい 両の手で耳を包んで仕事に向かう

 


美しすぎて君がこわいという歌詞の意味が五十になってわかった

 


野火燃える草原のような男なり息を切らして手を伸ばすのみ

 


開いた口は性的意味を帯びている ふり向く真珠の耳飾りの少女

 


川本千栄と縦書きにしてつくづくと真っ直ぐ寂しい名前と思う

 

 

 

何かへの生真面目さ、もちつづけてきた拘泥をぱっと裏返して、また裏返す。そのときに意味自体の意味や自他の境がなくなりきらきら光るような美しさが見つかる。美しさはひとつひとつ違って、これからもわたし(たち)はこうやっていろいろな美しさを見つけられるのだと思う。

 

 

川本千栄『樹雨降る』(ながらみ書房)

 

 

今考えてしまいたいことがあって

でもそんなことやっている場合じゃない、今それをやるんじゃない。大きな、大事にすべき何かの姿をできるだけ正しく見ようとしつつ、それ自体はとてもどうにかできるようなものじゃないということを見つつ、今目の前にあることをごましながらだと思ってもじりじり進むことは大事だ。こらえて座って読んでいるうちに、深めに集中できてそっちの壁に手をついて戻れる。今日は少し多めに走れた。もっと走ってみたいな、と思うときにやめるのが続けるコツという。